Superpositionの仏教的意味

すいません
これからの話は、かなり、わかりにくいです


量子論的には、観測されるまでは物質は粒子として場所を特定することができません
それをSuperpositionと言って、(最近になってようやくネットなどでこの言葉が見かけられるようになってきました)波動として、あそこと、ここと、重ね合わさって同時に存在している状態としています

仏教で言えば、唯識で言うところの所観で、つまり、感覚器官で感じる前の観察対象のことで
たとえて言うと

今、パソコンのモニターを見て、字を読んでますよね
ぱっと、眼をつぶります
その、眼をつぶっている間に、モニターは月まで飛んでいってます・・・

なわけはないのですが・・見てないんだから、わかりません
でも、そこにあったということも、見てないんだから、わかりません

で、そのモニターは、どうなっていたか、有るでも無いでもない、ま、見てないんだからわからない
それを、「空、くう」と仏教では言うわけです

観察によって、時間や空間が生じるのです
つまり、生や死も

考えようによっては、広大な「空」のなかにぽっかりと、あなたの意識が浮かんでいるようなものです

あなたは、今、見たり聞いたりして、生きているという素朴な実感を感じていますが、見ていない、聞いていない、広大な未知領域に囲まれているとも言えます
広大と言いましたが、時間も空間も無い(有ると断定できない)領域です

今、ぱっと眼をつぶってしまえば、眼の前のモニターも、あなたの左右の手も、Superpositionになります

記憶を例にとって話をします
印象深い瞬間というものは、昨日のことであっても、一ヶ月前のことであっても、ありありと思い出すことができます
古いことほど曖昧にはなりますが、きっかけさえあれば、ほぼ同時に思いだすことができます
これは脳の機能だと言う説明が、一応の科学的な説明なのですが、脳を解剖しても過去がでてくるわけではありません
富士山を思い出しても、解剖したら富士山がでてくるわけではありません
積年の恨みとか、秘めたる決意とか、頭蓋骨を割っても、発掘されることはありません
あたりまえですが

「記憶はSuperpositionに蓄積され、脳によって呼び出される」という仮説を立てても、それはそれで、説明がつきそうな気もします
仏教で言うと、カルマですね
過去の行い全て、それと、前世からの影響も受ける、という思想ですけど、成り立ってきます
過去にしたことすべて、消されずにSuperpositionの中に有り続けます(時間が無いんですから)
で、宿命や業からは逃れられないという思想にもなってきますが、逆に言うと、そこをなんとかするための仏教であるのです
(ちょっと脱線した話をしますが、「死」ですけど、今こうして生きてBlogを読んでいるあなたはSuperpositionの中では時空をこえて存在してます
つまり、死んでも消えることなく、時間を超えて今のまま存在し続けます
感覚的には全く理解不能ですが)

さて、では未来はどうなるのか

過去がSuperpositionなら、実は、未来もSuperpositionです
Superpositionでは時間と空間を特定できないのですから
過去と未来は同時に、Superpositionの中で重なり合って存在しています(ま、理論的には)

人間には自由意思がありますから、明日何をするか、これから自由に決めることができます
ですから、いかにSuperpositionであっても、そこに決まった未来があるわけではありません

でも、ワンピースのルフィーのように「俺は海賊王になる」と決めたらどうでしょうか
生まれ変わり、死に変わり、3000年後にはなるかもしれません
ところがですね、あなたのSuperpositionの中には、3000年後の海賊王がいるのです
「俺は海賊王になる」と決めた瞬間に、あなたの本当の心であるSuperpositionは海賊王になってしまうのです

ここのところを仏教では

「汝是當成佛。我是已成佛。 常作如是信。戒品已具足。」
汝は、まさにこれから仏となる
我はすでに仏となれり
常にかくのごとき信をなせば
戒はすでに具足している(梵網経)

平たく言えば、
「俺は仏になる」と決めれば、仏としての行いが出来る、と説いています

Superpositionに仏となった自分がいると、過去の失敗や間違いもすべて意味が修正され、仏となるための修業期間として再評価され、再生します
「俺は仏になる」と決めればですけど

もう少し具体的に言うと
ルフィーみたいにいつも「俺は仏になる」と言ってるってことでしょうか

実は、ほぼ全ての宗派で、毎日言っているのです
お経を読んだ最後に、必ず唱えます

「願以此功徳。普及於一切。我等與衆生。皆共成佛道」
ねがわくばこのくどくをもって、あまねくいっさいにおよぼし、われらとしゅじょうと、みなともにぶつどうをじょうぜん

ですから、あなたが3万年後に仏と等しくなったとして、Superpositionには時間はありませんから、今、Superpositionには仏になったあなたが存在してます
極めてわかりにくい話ですが

僕は、仏教の基礎知識で軽く

「仏菩薩を尊敬し
八百万の神を尊敬し
イエスキリストを尊敬し
アラーの神を尊敬し
自分を信じる」
と書いてますが、自分を信じていいんですよ
「俺は仏になる」と決めていれば
「俺は仏になる」と決めてしまえば、どんなに時間がかかろうとも、あなたはいずれ仏となります
未来に仏となったあなたは、Superpositionには時間がありませんから、過去も未来も現在も仏として存在することになります
つまり、今Superpositionで、仏となったあなたが微笑んでいます
現在どういう境遇であっても、これは仏にいたる必要不可欠のステップです
過去の行いはすべて、仏となったあなたに生かされます
細かいことをクヨクヨ心配するのは無駄なことです
仏教では、これを円頓というのです
円、かんぜんで
頓、すばやい
ああ、仏となると決めるからには、仏としての振舞いを目指してくださいね