VILLA DEL SOL

紀州徳川家の事跡は、今では、知る人が少なくなった
これは、実は、明治政府の徳川潰し政策のためであり、薩長閥の多い旧自民党政権でも、それは受け継がれました
このBlogでも書けないような話も多い・・・

明治新政府は、徳川家と戦争をしたわけで、憎しみこそあれ親しみは感じなかったであろうから、無理からぬことです
明治になって、新政府が最も恐れたのは、徳川とその係累の復活だったと言ってよいでしょう
徳川時代の土台があればこその日本国、なのですから

ま、今では、昔話になりました

長保寺は、西暦1000年、一条天皇の勅願で始まりましたら、徳川家が建立した寺というわけではありません
それでも、背面の山を利用した1万坪の紀州家の御廟所があり、位牌をお預かりし、菩提寺となりましたから、徳川の栄枯盛衰と運命をともにすることになりました

明治維新からもう150年になろうとしているわけで、そろそろ、次の時代の話題に切り替わる時でしょう

さて

紀州家は、明治になってから、その蔵書を南葵文庫 という図書館を建てて保管しておりましたが、その蔵書をすべて東京大学に寄贈し、建物は、今は熱海の瀟洒なホテルとして生まれ変わっています

南葵文庫
震災の翌月18日、いち早く侯爵徳川頼倫から古在総長に寄贈の申出がなされた南葵文庫蔵書
25330部、96101冊。質量ともに本館蔵書の根幹をなすもの。

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玄関の上で、紀州徳川家初代藩主の南龍公の馬印である三鍬形文が迎える

紀州徳川侯爵家が明治32年に東京・麻布飯倉に、日本で初の西洋式個人図書館「南葵文庫」として建てたもの。その後、取り壊される運命だったのを、伊豆山の旅館『蓬莱』がこの地へ移築。当時の雰囲気をそのまま守りながら、約7年もの歳月をかけて完全なかたちで復元した高級リゾートホテル。
現在は、星野リゾートが経営しています。
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