感覚とか感性を大事にしてると、脳の古い部分にアクセスするようになります
動物的というか、よく言えば普遍的な部分、悪く言えば原始的部分
野生動物に人間から見れば不思議な感覚があるのに似て、人間の脳の深層に不思議な感覚を司る部分があるのかもしれないと考えています
なんだかんだ言っても、どんな能力でもあるにこしたことはありませんが、つまり「霊能力」は原始的な感覚なのかもしれないということ
これが顕在化して、脳の表面的な意識でコントロールされたのが「霊感」と総称されているのではないかと思います
でもって、「霊能力」だけを追求しているってことになると、原始的部分だけとのアクセスが肥大化して、つまり、人間性が動物的になります
極端に言えば
僕は、拝み屋さんがよく「キツネ」「ヘビ」を拝むのは、そのへんのことがあるんじゃないかと思ってます
「キツネ」「ヘビ」はまっとうな神様の使いなんですけど、どうも、伝統的に、神様に頼むってアプローチでなく直に眷属である彼らとコンタクトするようになるんですね
で、自分も欲まみれ、眷属さんも欲まみれになっていくってパターン
業界では「仕事は速いが後は野となれ山となれだよ」とか言います
「キツネ」が大脳辺縁系、「ヘビ」が脳幹系かな
まあ、決定的に、「智慧」が欠如してる
つまり、動物的
日経BP社より引用 こちら
人間の脳の内部には今でも恐竜時代と同じ部分が隠されている
爬虫類時代の脳幹の上に旧哺乳類時代の大脳辺縁系が,その上に人間特有の大脳新皮質が増築する形で巨大化してきた
これは、現代のスピリチュアリズム全般に言えることですけど、その対象とする、いわゆるマーケットがですね、「願望成就」「現世利益」なのですよ
ヒーリング、パワーストーン、前世療法、占いetc
手っ取り早く追えば、欲望を満たすための、従来の常識を越えたスパーツールとして期待されてるわけです
あるいは、従来の方法で解決できない問題の、解決への「抜け道」ですね
それで、スピリチュアリズムは、現実逃避の傾向もあるんです
だから悪いってことでもないんですけど、そこに、社会性というか共同体意識がですね欠如してくると、また、どうしても、欠如しやすい宿命をもってるんですけど、どうもうまくない
自分さえよければ後はどうでもいい、自分だけ救われたい、自分の願望だけ満たしたい、などなど
カウンターカルチャーとか自己中くらいならいいけど、反社会的、カルトとだんだん行ってしまう可能性も秘めているってことです
「願望成就」「現世利益」ってチャンネルからだけ、物事に取り組むと、どうしてもそこに行ってしまう、陥りやすい罠、なんです
特に、市場経済とか商業主義が社会の主流になってきている現代で、スピリチュアリズムがもてはやされるってのは、まあ、欲望に奉仕する道具であることが限界になって、やっぱり宗教とは違うってことです
拝み屋さんに社会性が欠如していることが多いという問題
これは、神秘体験の性質そのものに由来する問題です
表層意識は外界の事物の認識を基本機能とし、言語的で「頭」で理解するやりかたである。深層意識は外界に存在する事物とは対応しておらず、五感を使い切った「身体的」イメージの産出である。
表層意識は「差異化」の原理で構造化された「名詞的」な言語の世界であるが、深層意識では対象に近づき五感で感じ取り一体化するため他との比較もできず客観的認識は不可能である。
深層意識での認識は圧倒的リアリティーを持っているが、反省的思考は停止する。
つまり、拝み屋さんは理性的判断より深い階層の意識、感性とか感覚の部分で生きているから、共同体への帰属などという反省的な考えが起きないということ
よく言えば「天然」、悪く言えば「自己中」
だから、拝み屋さんが金銭的な問題を起こすのは、責められない一面があって、もともと金銭感覚に社会性が欠如している傾向があるわけです
も一つ言えば、拝み屋さんは自分と他人との垣根が低い
これは、心が繋がる感覚があって成り立つ商売ですから、どうしてもそうなるんですけど、物と金にルーズになりがちになる
ですから、拝み屋さんが、カウンターカルチャーといいますか、伝統文化から外れたところで活動したがるのも、社会性の欠如からきてるってことです
それでいて、拝み屋さんが徒党を組むのは、実は、背後の霊団が共通してるからです(ひらたく言えば、共通の文化的背景かな)
同じような傾向の神秘体験をします
この霊団てのがくせ者で、エゴが強いから憑依などするんであって、子分を作ろうとする執念が強い
だから、拝み屋さんのグループの特徴は、親分子分の関係が厳格です
ま、ヤクザと一緒だね
でも、これは、霊感のある拝み屋さんの場合です
たんなる詐欺師も多いからね
いずれにしても、拝み屋さんには社会性の欠如という宿命があるわけで、拝み屋さんの活動が世界平和につながるのを期待しないほがいいかもしれませんね