仏教的な意味で「自分を信じる」ということについて、少しお話しします
お釈迦様は80年の伝導生活をして、クシナガラで涅槃に入られたのですが、その遺言、最後の言葉が
「自灯明 法灯明」 じとうみょう、ほうとうみょう。です
自らをよりどころせよ、自然の法則をよりどころとせよ
という意味になります
全然、ノーベル賞をもらった科学者が言ってもいいような言葉です
なにかを信じろ、とか、王様に従え、とか、言いません
ひとに優しくせよ、とも言いません
今の仏教は、阿弥陀様や法華経や観音様や御大師様など、タレントがたくさんいますが、もう、2500年もやってますからね
だんだんと、増えてきてます
ですが、もともとは、「自灯明 法灯明」です
ややこしく考えなくても、我々は皆、自分がいいと思ったことをして生活してます
間違いもあれば、失敗もします
いいと思ったことでも、よくなかったことなど、いくらでもあります
誰かが助けてくれることもあるし、教えてもらうこともありますが、なにを言ったところで、最後は自分でするしかないのです
自分で出来る範囲が、つまり、自分の人生です
その自分を信じるのはいいのですが、傍から見ればとんでもない犯罪を、犯す人もいるのです
なんでもかんでも、自分を信じていていいのか・・・
世の中、バッラバラになるじゃないか・・・
それはそうなんですが、そうやって人は生きているのです
胎蔵曼荼羅図 中台八葉部分
鎌倉時代 長保寺蔵
鎌倉時代 長保寺蔵
曼荼羅は、心の展開図です
間違いを犯し、失敗する人間ですが、その間違いを悔い、失敗を反省するのも人間です
間違いから学び、失敗から経験を積み、振り返ってみれば、前に進んでいるのではないですか
バランスをとろうとする力
正常に回復しようとする力
幸せを求めようとする力
そういう力が、欲望とか損得勘定とかとは別に、あるのではないでしょうか
人の心の底の、そのまた奥深くに、どうしようもなくある、智恵だと思います
智恵に素直になれるかどうか、これ、問題です
ただしかし、自分の心の中に智恵がある
それを忘れちゃいけませんよ、と
それが、仏教が言う、自分を信じるということです