日本仏教の流れ

広目天  仏教には笑顔だけがあるのではありません 

日本仏教は歴史的にはどうしても上意下達の権威主義とセットになっていました
権威の中心は特権階級から徐々に大衆に開放されてきたのです

日本の仏教は、壮大な伽藍から始まり、平安時代に山岳仏教になり、中世に日本的な発展を遂げつつ地方へ伝播していきました。江戸時代に檀家制度が確立し、今日では各家庭に仏壇が置かれるところまできました

中央集権的な時代には大伽藍で国家の威信を示し、平安時代には貴族の祈祷道場としての霊力を求められました
それが鎌倉時代にはいると、地方にも中央に拮抗するような勢力が芽生えはじめ、仏教の大衆に向けた発展が加速され、中規模な寺院が日本全国に作られました
江戸時代には封建社会を固定化するために、各村落にも寺院が作られ檀家制度が浸透しました
寺院は国家から地方、そして小さな村落へと変化しつつ発展してきました
そして今は各家庭に仏壇が置かれるようになり、違和感無く我々の生活に溶け込んでいます

つまり、大⇒中⇒小と流れてきているわけです


で、次なる発展は、国家中枢⇒上流階級⇒地方豪族⇒地域社会⇒家庭ときて、こんどは個人でしょうか
たとえて言えば、大規模通信設備⇒公衆電話⇒固定電話の次に携帯電話がきたように、仏教の個人化がくると考えられます

寺院の性格が国家中枢(法隆寺や東大寺などの大伽藍に代表される)⇒上流貴族(比叡山や高野山など)⇒地方豪族(鎌倉期の地方の大寺院)⇒地域社会(檀家寺)⇒家庭(仏壇)ときたら次は⇒個人ということになるのですが、はて、これがどんなものになるのか?

 
 

答えは、この文章をお読みになっている、あなたが出す、ということです