下の写真は天台、真言で使う密教法具です
密教寺院には、必ずあります
もともとはインドだと思いますが、もうインドには無いのです
チベットには、似たものがありますね
ざっくり端折って説明すると、集中力を高める為の道具です
なくても間に合うのですが、あったほうが簡単に仏の世界に入れます
臨死体験の研究、トランスパーソナル心理学、アメリカ輸入のニューエイジやヒプノ、などなど、現今の精神世界には色々な切り口がありますが、つまりは宗教の個人化の流れの中で必然的に起こるべくして起こってきた試行錯誤の一端ということにも感じられます
一過性のブームのようなものに終わるとは思えません
仏教は2500年以上、過酷な運命を乗り越えて、時代的要請に答えながら伝統をつないできました
結果論ですが、これが事実です
今ある様々な精神世界の試みもいずれ吸収してしまうのではないでしょうか
大乗仏教の発展は異文化の消化吸収の歴史でもあります
超感覚的な預言者による宗教であるキリスト教やイスラム教のようなトップダウン式の一神教と違い、仏教は瞑想によって検証されながら常に変容してきました
それでも、瞑想によって仏となる、という基本的なコンセプトは表現のしかた、強調する部分が違っても変化はありませんでした
精神世界の試みの成果は新鮮ではありますが、仏教の骨組みを粉砕するほどの説得力は感じられません
むしろ、一神教の独善を戒め、瞑想の技術を深め、生命に宿る仏性を際立たせることで、結果的に仏教の洗練に寄与するのではないかとさえ思います
今の坊さん達が、自分達に磐石の既得権があるなどど思い込んでいなければ、仏教にはまだまだ未来はあると思うのですが、いかがでしょうか