昔話を少し
もう7年前になりますが
日本にスピリチュアルという言葉を根付かせた翻訳家のYさん(天女座の矢吹さんが瞑想CDに曲をつけてらっしゃいます)のご縁の方で、アメリカ人のB君がうちに遊びにきました
奈良で鹿のスケッチをしたり、地下足袋が欲しいと言い出して、足が大きくて合うのがなく、あちこち探したり、モンゴルのホーミーをやってみせてくれたり、面白かった
お父上は、イスラムのスーフィーを信仰してるんだそうで、いろいろ興味深かったですよ
このスーフィーは、日本では知る人は少ないですが、イスラムの密教で、方法論は密教に酷似しています
おそらく、インドからイスラムへの影響があったのでしょう
極めて、精緻で高度です
そのB君が、瞑想をしたいと言い出した
で、片言の英語でレクチャーすることになりました
その時に書いた図がこれです
慈悲の瞑想
仏さんは根源とつながっている
慈悲によって、つながっている
慈悲とは、愛ある智慧、智慧ある愛
あなたの真心と仏さんが、つながる
目の前の仏像とあなたは、この世界にいる
仏像の根源は因果を越えたところにある
あなたは慈悲によって根源とつながる
How to
かすかに微笑む(モナリザのように)
息を吸うとき 慈悲(love and wisedom)が体にはいる ありったけのイメージで思う
息を吐くとき 感謝しながら吐く
あなたの中に元々ある、すばらしい心が、仏の慈悲に洗われて、輝く
自分が自分に目覚める それを「悟り」という
リラックスして
1分でも3分でも5分でも、15分、30分でもいいからやる
どこでもできる
疲れたらやめる がんばる必要はない
いつでもできる
Easy and Simple
と、これを、12月の寒いお堂で、2時間、B君一人で、真剣にやりました
よく、修行などしても効果がない、と言う人がいます
僕は、高野山大学の学生の修行の監督もしましたが、「真剣にやれば」効果はすぐでます
ただし、「真剣にやれば」です、ここ大事です
日本では、仏教は、風景のようにありふれた存在で、特段の興味がないのが普通でしょう
しかし、はるばるアメリカから来て、荘厳なお堂に坐れば、それはそれは、気合が入ります
この、真剣さ、気合、覚悟、といったものは、言われてできるものでもなく、その人の人生、めぐり合わせ、などが噛み合って、初めてスイッチが入ります
理屈など、いくら言っても、スイッチは入らないのです
「人をみて法を説け」とは昔から言われている言葉ですが、B君の真剣さを見ていて、改めて、その意味を納得したのです