密教に月輪観(がちりんかん)というのがあります
自分の胸中に月がある、と想います
「想え、胸中に月輪あり」などと書かれています
上座仏教にも、よく似た瞑想があります
白い月輪だけでなく、赤や青とか、いろいろな色でするようです
ほとんどの人は、出来もしないことが書かれている、と想っているのでしょう
密教経典には呪文を唱えて空を飛ぶとか、死者が蘇るとか、荒唐無稽という他はないようなことが色々書かれていますから、実際に、本当に、ありありと見える人がいるのでしょうか
でも、どうやら月が見える人はいるようです
円相 白隠 (1686-1769)
Paradise: Ascent of the Blessed
1500-04 Hieronymus Bosch
洋の東西を問わず、宗教を問わず、人間に「共通の心の仕組み」があると考えるべきなのでしょう
宗教が世俗的権威主義に利用され、脚色され、踏み台にされ、ゆがめられてきたのが人間の歴史です
また、その宗教を、金儲けと、傲慢さと、無知の、隠れ蓑にして利用したのです
キリスト教やイスラムなどの啓示宗教は、開祖の言葉が「真実かどうかを検証する」手段がありません
信じるか、信じないか、選択するだけです
仏教は、瞑想によって検証され、実際に進化を続けています
(たとえば、本地垂迹説といって、日本の神様の本地(つまり本質)は仏菩薩だ、という説を発明したり)
仏教徒としては、すでに獲得した既得権に安住せず、まだまだ検証と進化を続ける必要があると思いますよ
理論的には、全ての宗教を統合した瞑想技術など、出来そうですけどね
で、その一つの入り口が
癒される瞑想、というわけです