敬礼諸佛 称賛如来
広修供養 懺悔業障
随喜功徳 請転法輪
請佛住世 常随佛学
恒順衆生 普転回向
普賢菩薩 別名は金剛薩埵(こんごうさった)
仏教修行者は、皆、金剛薩埵であるとされています
ですから、あなたも、どこかのお寺の檀家さんなら金剛薩埵です
檀家でなくても、自分は仏教徒だと自認していれば金剛薩埵の資格があります
金剛薩埵は色々な経典に頻繁に登場します
永遠に生まれ変わりながら、各地の賢者を訪ね、仏教を修行し続けます
衆生の心の中にある菩提心(ぼだいしん)を人格化した菩薩でもあります
菩提心は仏教語ですが、向上心と慈悲心を合わせた概念です
純白の月輪で表されることもあります
釈迦三尊の脇時で登場する時は、普賢菩薩が慈悲の働き、文殊菩薩が智恵の働きを表します
まあ、初心の金剛薩埵が我々で
修行が進むと、この画像に描かれたような姿に近づくと考えておきましょう
普賢菩薩像 一幅
絹本著色 縦95.6 横37.5
南北朝(14世紀)
普賢菩薩像は文殊菩薩とともに釈迦如来の脇侍として釈迦三尊を形成する場合があるが、独尊の画像あるいは彫刻として造顕された遺例の方がむしろ量的には多い。これは、普賢菩薩が法華経信仰の広がりによって単独の信仰を集めるに至ったためで、ことに法華経が女人往生説を説くことからもいっそうの流布をみたと考えらている。
妙法蓮華経、略して法華経は五世紀の初頭に鳩摩羅什によて漢訳され隋の天台智ぎによって大成された教典であるが、わが国では聖徳太子が『法華義疏』を著しているように、すでに飛鳥時代には伝えられている。以後、奈良時代においても法華経信仰は確実にに定着してゆくが、本格的流布は平安時代初期の人唐最澄が、法華経を根本経典として比叡山に日本天台宗を開宗して以降のことで、法華三味行法を行うために、皇族・貴族によって数多くの法華堂が建立され、本尊・普賢菩薩像が造顕・安置された。法華経は序品から始まり最後の勧発品までの28品(28章の意)によって構成されているが、最後の勧発品には普賢菩薩が法華経を修行する者を守護することが説かれ、画像・彫像ともに六牙の白象に乗り行者の方へ近づいてくる姿で表されているのが通例である。
この普賢菩薩画像も、損傷は多いが、通例の普賢菩薩像で首を左方へ振り向けた六牙の白象の上に豪華な鞍を置き、左手を屈ぴし蓮華持つ半跏形の普菩薩を、企泥・きり金を多用した繊細な筆致で描いている。制作年代は、衣文の処理に多少類型化した不自然なところが表れていることから、南北期時代に降るものと考えられる。
和歌山県立博物館「長保寺の仏画と経典」より