なにを思うか

昨日の「心を生きる」続きです

心の重点が「空」に置かれていれば、生も死も無い

まあ、このようなことを書いても、ああそうですか、で終わってしまうと思います
あなたが今、この文章を読んでいるとき、僕はパソコンの前にいるか、昼寝をしているか、飯を食べてるか、いずれにしろ、どこかで何かをしています
実は、あなたから見て、僕は「空」の中にいます
これを今読んでいらっしゃる、あなたは、僕から見れば「空」の中にいます
とにかく、感覚器官で脳内に結像するまでは、一切合切、すべて「空」です

ですから、会社に出勤したり、学校に行ったり、買い物にいったりしている家族も、留守番をしている側から言えば「空」になっています
で、脳によって結像した「色」ですね、つまり、普通に見たり聞いたりといった感覚は、脳の作り出した「顛倒夢想」です
ですから、普通に生きている我々は、実際のところは、「空」のなかで時間、空間、質量のない世界で生活してることになります
時間、空間、質量が無いのですから、生きるでも死ぬでもなく、有るでも無いでもなく、一でも多でもなく、暮らしてるということです
地動説と天動説の違い、とでも言いましょうか
脳内世界が夢想で、感じる前の世界がリアルな世界、という発想をすれば、不生不滅、不垢不浄、不増不減の「空」の中で、我々は、生きるでも死ぬでもなく生活してることになります
「そんなこと言っても、人は死ぬじゃないか」
とまあ、そうなんですが、感覚器官が燃え尽きてなくなってしまっても、「空」は有るでも無いでもなく、そのまんまです
ですから、時間も空間も質量も無い「空」の中で、我々は、そのまんま、ということになります
前世とか輪廻転生とか、あの世とか、言いますが
正確には、時間も空間も質量も、有るでも無いでもないのですから、まあ、「空」ですね

そういうことになると、先ず何が大事かと言えば

なにを思うか」ではないでしょうか

感覚器官の中での我々は、死ぬこともあれば、病気や老衰もあるのですが、「空」の中では、なんら制限がありません
ですから、勝手気ままではあるのですが、そこは「空」には垣根が無いので全てと繋がっていますから、なにもかもバレバレでもあるし、因果応報でもあるわけです

とにかく、なにかする前には、なにかを思うわけで、特に心の世界ですから「思い」は大事です

「思い」を完成させた、先を歩いている先達も想定されるわけですが
それを、菩薩とか仏とか呼ぶのです

「思い」を大切にして歩み始めれば、あなたは初心の菩薩です

時間はたっぷりありますから(なにしろ、不生不滅ですから)どのような「思い」も、いずれ必ず成就します
わかりにくく言うと、時間の無い世界から、「思い」を成就したあなたが、今のあなたを導きます

ま、そこまで飛躍しなくても、「思い」から初めてみてください