この、変性意識状態は、体験した者にとっては、実際に起こった出来事であり、疑う余地のないものですが、これを他人に説明するのは極めて困難です
ごく稀な感覚ですから、なかなか共感は得られないのです
ところが、経験した本人からすれば、嘘偽りのない実感なわけです
それで、神から啓示を受けた、無上の悟りを開いた、などの、どうしても人に言いたくなるような至高の体験は、その説明が受け入れられるには、なにかわかりやすい例え話か、既存の神話的物語があったほうがやりやすい、ということになります
それを、「変性意識状態を神話的コスモロジーによって説明する」と言います
あるいは、「深層意識のイメージと神話的コスモロジーの一体化」とも言います
神話的コスモロジーは、たとえば、同じ様な変性意識状態の絶対的存在感を、キリスト教文化圏なら「天の父」、イスラム文化圏なら「アラー」、仏教文化圏なら「大日如来」とか、その文化圏特有の既存のイメージと物語で、合理的に説明しようとして作り出される世界観です
説明は人間社会で人為的に創作されますから、千差万別、各種ある、ということになってきます
それで、異なる宗教や、宗派の解釈の相違が、必然的に生まれるのです
グルメリポートで、同じような天丼を食べても、いろんなリアクションがあるようなもんです
起承転結が完結しているからこそ、コスモロジーなわけで
神話的コスモロジーには、あらかじめ決められた結論があって、必ず決められた結末に導かれることになります
おおまかに言えば
キリスト教なら天国
イスラムならアッラーの御下
仏教なら極楽
グルメリポートなら、この店だけで食べられます
それで、同じ変性意識の体験をしても、コスモロジーが違えば、否応なく、異なる結論に導かれることになります
人間の心の仕組みが、それほど違うとも思えないし、唯一の真理がいくつもあっても困るわけですが、神話的コスモロジーが違えば、全く同じ現実や経験から、違う行き先に導くことができるということになるのです
つまり、創作されたコスモロジーが違うから、違う宗教になるのです
そして、宗教体験は、コスモロジーがなければ、説明できないのです
21世紀の世界では、より普遍的なコスモロジーが求められているわけですが、いわゆるカルトは、その逆を行くわけですね
蛸壺に隠れるか、平原をまっすぐ進むか、さて、どちらを選びますか
こちらどうぞ
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