ご存知の方は少ないと思いますが、最近はカトリックでも瞑想が重視されて、禅僧の方たちといっしょに瞑想する(つまり坐禅ですが)試みも真剣に行われるようになってきてます
しかし、この瞑想の、理論的な骨格は仏教、ということになります
仏教的な説明はこちらに書いています
ホームページにも書いてますから重複しますが
「見られる」がわには「我執」は全く無いわけですから、機械や化学反応のような無機質な世界なのですが・・・
そこには、生きて活動している心があるわけです
その心を、「無償の愛」とか「慈悲」とか「慈愛」とか「己を忘れて他を利する心」などと名付けることができます
脳内に感覚器官を通じて投影された「脳内世界」に執着するのを、ほどほどにすれば、「真実の世界」が感じられます
その執着の程度、というか、濃さというか、まあ、上の図でいえば「見る」と「見られる」を隔てる緑の縦線ですが、生き様の程度を決めているとも言えます
我々は、どうしても言葉の意味を詮索してしまうわけで、古来仏教では不立文字とか果分不可説とかいって戒めてきたのです
それでも、あえて言えば
緑の縦線の我執の壁を突破するのが「慈悲の感触」です
だから、瞑想には「微笑むこと」が先ず大事だし、最後の最後、ホトケになるまで大事だということになるのです
微笑んで
リラックスして
呼吸に意識を集中してイメージしてください
息を吸うとき「だいじょうぶ」
息を吐くとき「うまくいくよ」
1,2分続けてみてください
できれば、もうすこし長く
息を吸うとき
あなたを守る力が体に入ってきます(ありったけのイメージで思ってください)
息を吐くとき
その力を、あなたの好きな人にあげましょう(ありったけのイメージで)
疲れたらやめて
あなたを守る力に感謝します
それで、瞑想するときは自分のことだけ思うのではなくて、誰かのためを思うことも大事です
そして、「あなたを守る力」は「真実の世界」から来てるのですよ
そのうち腑に落ちます