呼吸は、意識と無意識の両方にまたがっています
普段は無意識に呼吸していますが、意識して呼吸することもできます
ですから、呼吸に意識を集中すると、無意識に近づけます
我々は、自覚して意識的に生活するよりも、無意識になにかしているほうが多いのです
ですから、無意識はとても重要です
「だいじょうぶ」「うまくいくよ」という言葉よりも、慈悲の感触が大事です
無意識が慈悲の感触で満たされるためには、瞑想が必要です
無意識であればなんでもいい、ということではありません
慈悲の感触を感じなければなりません
仏教は、あまり言葉で慈悲について説明してきませんでした
それは、仏教の求めている慈悲は、想像をこえたものだからです
自分の中から、説明のつかない、想像をこえた慈悲が湧き出るのです
想像をこえた慈悲を、仏教は求めています
瞑想して、修行を完成した存在が想定されますが、そうした存在が、今なにをしているかをイメージするわけです
言葉で言えば、慈悲の行いをしてるわけです
手短に言えば、それをまねる、ということです
呼吸に意識を集中して、心が自分の中から湧き出る、想像をこえた慈悲に満たされる
それが、癒される瞑想です
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