般若心経には、未那意識、阿頼耶識、如来蔵は書かれてません
前五識が空となると、阿頼耶識にも空が溜め込まれることになる
未那意識、阿頼耶識が輪廻の主体と考えると、阿頼耶識まで空であるのが菩薩ということになる
最後の呪は呼格だから、呼びかけで、阿頼耶識まで空である菩薩の加持を得ることができるのです
長保寺蔵 隅寺心経(奈良時代)
空は、不生不滅、不垢不浄、不増不減
あるいは、不一不異、不同不断、不生不滅、不去不来とされてますが
遠近、強弱、大小は否定していません
波動と近似した概念と考えてもいいでしょう
人は、不生不滅、不垢不浄、不増不減、不一不異、不同不断、不去不来の空から、瑣末な個人空間を切り取って一喜一憂しています
未那意識、阿頼耶識がなければ空を世界として認識できません
認識されないと、世界が消滅してしまいます
誰かが亡くなったとしても、その人の遺産が蒸発して消えるなどということは無いのです
肉体が消滅しても未那意識、阿頼耶識は決してなくならないので、ホトケとなるまで輪廻は続きます