心経玄談 3

別に、あなたを説得しようというのじゃありませんが
武田邦彦先生のお考えは、しごく真っ当だと思いますね

今は、「そんなものは無い」と断定しても、千年後にはどういう理解になっているかわかりませんよ


さて、般若心経の話ですが
照見五蘊皆空ーーー>度一切苦厄
五蘊は皆、空であると照らし見てーーー>一切の苦厄を度す

度すというのは、仏が人々を救うことで
苦厄は、苦が苦痛とか悩みとか、自分自身の問題で
厄は、災難とか事故とか、ふりかかってくる問題の総称です
つまり、一切の苦厄を度す、とは、全ての問題を解決した、という状態のことで、笑いの止まらない、最高の幸せということです

五蘊が結構難しくて、般若心経の中にも書かれている色受想行識のことですが
ざっと言って
色(眼耳鼻舌身の感覚器官)が受(受け取ったもの)が想(想いとなって)行(連綿と継続して)識(意識となる)、その一連の作用が、五蘊です
目の前にモニターがありますが、ぼんやり見ていても(色)、なにが書かれているかわからないわけで
字を読んで(受)、言葉を理解して(想)、何行か読み続けて(行)、なにが言いたいのかわかってくる(識)と、まあ、普通に意識しないでもやっていることですが、言われてみれば、そういう仕組みです

五蘊が空だと照見すれば、笑いの止まらない、最高の幸せになれる

縮めて言うと、そうなります

例によって図にすると

となるわけですが

照見というのが気になるところですが、般若心経のすぐ上に、「五蘊が空だと照見する」ためには
行深般若波羅蜜多時、で
深く般若波羅蜜多を行った時、と明確に書かれています
般若波羅蜜多は、サンスクリット語の音写で、「智慧の方便」という意味です(これはこれで、難しい)

「深く般若波羅蜜多を行」えばーーー>「五蘊が空だと照見」して「一切の苦厄を度す」ことができる

理屈の組み立てはそれでいいとして、実際に実践するには「深く般若波羅蜜多(智慧の方便)を行」うことが大前提です
いちいちの言葉の意味は、結構難しくて、逐語的にきちんと理解しようとすれば、仏教大学に入り直したほうがいいんじゃないかと思いますが、大事なのは「深く般若波羅蜜多(智慧の方便)を行う方法」です

般若心経に限って言えば、写経を思いつきますが、写経は般若心経そのものには説かれていません
で、素直に般若心経を読むと、最後の部分の
羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶
(ぎゃーてい、ぎゃーてい、はらぎゃーてい、はらそーぎゃーてい、ぼーじそわか)
を呪文として読誦する、という方法になります

ここでは、千巻心経について書いていますが、天台宗布教手帳(平成3年版p.155)にも記載されていて、あまり知られていないかもしれませんが、特殊というほどのものでもないです 

般若心経の祈祷法

般若心経は、空について説かれています 

哲学的な空についての説明もありますが、実際は、哲学が知りたくて般若心経を読む人はほとんどいないでしょう 

読誦して功徳がある、霊験がある、ということを目的に唱えられています 

なんにもなければ、とっくに廃れてます

その霊験の引き金が呪です 

空ということを言えば、たとえば、地球の裏側の人たちから見れば、我々の存在は空の中です見る、聞こえる以前の世界の総称が空ですから、漠然と、広すぎる概念です
で、その空には整然とした秩序があり、ルールに従えば、空の中から実際的な力を取り出せる、というのが密教です 

主たる方法が、呪です 

般若心経によれば、呪には2種類あり、それは「精神集中」と「呪文」です 

それで、般若心経を読誦すれば、「精神集中」と「呪文」により、霊験がある、と
呪が仏によって定義され示されたから、間違いなく空の中から約束された力を取り出すことができます 

それで、もう2500年にわたって読誦され続けているということですね