長保寺にある隅寺心経の経題は
「般若心経」ではなくて「心経」です
これは、「般若心経」の「般若」を省略したのではありません
最新の研究では、「心」は「要点」の意味で、いわゆる心情とか心理とかの「人間の心」を意味しているのではないことが分かっています
それで、心経の言うところの、要点とは、最後の呪ということになります
心経が16行あるうちの、15行は前ふりで、呪の説明ですね
ですから、心経の意味を深く掘り下げて論じるよりは、さっさと呪を唱えたほうが経典の趣旨に沿っていることになります
まあ、ですけれど、これは玄談なので、過去に書いたことと重複する部分もありますが、お話を進めさせていただきます
もともと、心経の信仰は、天平18年から(746)奈良の隅寺(海龍王寺)で、毎日、聖武天皇のために一巻、光明皇后のために一巻、合わせて二巻ずつ約10年間、おそらく総数で7000巻ほどを写経したのが始まりです
そのうちの60巻ほどが現存し、長保寺にも一巻あるわけです
年代的に言って、この大写経事業をすることになったのは、行基の存在があったからです
行基は、天平17年に日本最初の大僧正になって、写経が始まったのが天平18年です
行基が、数ある仏教経典のなかで、もっとも重視していたのが心経です
心経は、玄奘によってインドから中国にもたらされました
中国式の翻訳事業は、訳し終わったら、原典のサンスクリット経典を廃棄処分してしまうのです
玄奘法師画像 紙版画こうして見ると立派です10年以上前に、中国の西安の大雁塔(玄奘が設計にもかかわった。玄奘は塔のある慈恩寺で亡くなるまで経典の翻訳に従事した)の中にある売店で、土産物として売られているのを買って帰って表装しました大雁塔で売られている物は、裏に大雁塔の角判が押してあります外の売店でも、売っていましたが、それは判無し東京国立博物館にあるものが原画であろうと思います(つまり、これは土産用のパクリです。背負っている経巻の表現が、ヒョウ柄のようになっていて雑なのは、ご愛敬です)重要文化財 玄奘三蔵像(こちら本物)右手に持っている、払子(ほっす)は創作ですね(原画にはなし)たしか、十元ほどの値段だったと思いますまあ、150円ですか当時は、中国バブルの前で、のどかでした
玄奘は西遊記の三蔵法師のモデルになったので有名で、さまざまな伝説が残されています
神秘的な話も多くて、残された話がどこまで本当かよくわからないのです
インドに行く途中、菩薩から心経の呪を授かった、というもそれですが、道中の安全のため呪を唱え続け、そのため心経は旅行安全の経典とも言われるようになったらしいです
伝説ではありますが、玄奘にとっても心経は特別な経典だったということですね