心経玄談 10

ただ参道を歩くだけの動画です 編集で手ぶれ補正をかけていますので、かなりグニャグニャです

ある、不思議な体験をしたとします
深層意識でのイメージ、と言ってもいいのですが

これを、今は、「変性意識状態」と言います
通常の意識の経験の範囲に収まらなければ、なんでも、このカテゴリーに放り込みます
たとえば
臨死体験をした
神の声を聞いた
幽霊を見た
悟りを開いた(これも「変性意識状態」に分類されてしまいます)
こういう経験をすると、人に話したくなるわけですが、どのように話せばわかってもらえるのか

「えーと、雲のようなものが見えて・・・」
「川みたいなところに出て・・・」
「声が頭の中に響くような・・・」
「人の形のような・・・」
「とてつもなく痛快で・・・」
など
既知の、一般的な事象に例えるほかありません
これを、専門的には、「変性意識状態を、神話的コスモロジーで説明する」あるいは「深層意識と神話的コスモロジーの一体化」と言います

「宗教クライシス」上田紀行著 岩波書店 

神話的コスモロジーと深層意識のイメージとの一体化は、共同体が保持しているコスモロジーと深層意識の一体化であるから、「絶対的な私」の感覚を強烈に持ちながら、共同体とも絶対的なつながりを持っているという感覚へわれわれを開いていく。しかし、コスモロジーの行き先はあらかじめ決められているため、盲信へ閉じていく性格を持っている。 

深層意識でのイメージはコスモロジーがあらかじめなければ、体験とならず、他者とも共有できない。宗教体験の核心には、神話的コスモロジーが必要である。コスモロジーが宗教体験を可能にし、人間どうしの根元的なつながりを生み出すが、ひとつの限定された物語に収束されてしまうが故に、他の宗教や文化における根元的なつながりを理解できないのである。

神話的コスモロジーは、たとえば、同じ様な変性意識状態の絶対的存在感を、仏教文化圏なら「大日如来」、キリスト教文化圏なら「天の父」、イスラム文化圏なら「アラー」とか、その文化圏特有の既存のイメージと物語で、合理的に説明しようとして作り出される世界観です
説明は人間社会で人為的に創作されますから、千差万別、各種ある、ということになってきます
それで、同じような経験をしても、異なる宗教や、宗派の解釈の相違が、必然的に生まれるのです
仏に様々な異名があったり、本地垂迹や山王神道など神の本体が仏であるという世界観も、これで説明がつきます

「空」というのは、つまり、ぱっと目をつぶった時に、目の前にあるモニター画面です
当然、なにが写っているのかわかりません、見ていませんから
わかりませんが、そこにあります
不生不滅、不垢不浄、不増不減
当然、生じたのか、滅したのか、垢がついているのか、清浄なのか、増加しているのか、減じているかわかりません、見ていないのですから
生滅、去来、一異、同断もわかりません、見ていませんから
不生不滅、不去不来、不一不異、不同不断の八不になります
ですが、そこにあります
それが「空」です

目を明けば、モニター、あるいは、ディスプレイ、液晶、PC画面、どのように名付けて呼ぼうと、そこには同じものがあります

屁理屈でもなんでもありません
同じ仕組みで、仏教とキリスト教とイスラムに分裂しているのです

自分が、「空」を神話的コスモロジーで解釈して「色」を作っているのですが

違いを探して出てくる相違点と、同じところを探して出てくる相似点の数は、同じようなものだったりします
尾ひれをつけた、複雑な解釈をやめて
「色即是空」とよく自覚すれば、たいした違いはないのではないでしょうか