心経玄談 18

人間、頑張れば大抵のことはできます
努力してどうにかなることなら、努力すればいいのです

しかしながら、親しい人との別れ、不治の病、老いの衰え、など、努力ではどうしようもないこともあります
心経が想定している苦厄は、そういった、普通の努力では解決できない問題ではないでしょうか
普通に努力しても、ほとんど無力なことがあるから、普通の努力以外の方法として、精神統一しつつ呪文を唱えることを説いているのではないでしょうか

心経には「考え方を改めましょう」とか、「立場を変えて考えてみましょう」とか、常識的にはもっともな説教はありません

心経に書いてある問題解決の方法は精神統一しつつ呪文を唱えることだけです

心経の呪は人生の無力、限界、無常の中を堂々巡りしている時の、一縷の望みです
なんとかなりそうなら、なんとかしてみればいい
どうしようもないから、一縷の望みに賭けるのです

心経の呪は、この世のものではなく、お釈迦様が霊鷲山で説いた「空」からの呼びかけです
無垢な「空」と繋がる一縷の望みです
考える、工夫する、がんばる、など自分の意志による努力は、感覚器官がとらえたイメージを、自分の感覚器官の世界のなかで解決しようとする、いわば、堂々巡りです
解決したように見えて、また、同じような問題が再来します
感じる前の世界(空)には、脚色されない、無垢で、純粋な、心経の言うところの、不生不滅不垢不浄不増不減な世界があります
なにも遠くにあるわけではありません
ぱっと目をつぶれば、目の前のモニターが「空」です
ふっと無心になれば、今生きているこの世界すべてが「空」です
その「空」を見ようとして目を開ければ、脳内イメージしかありません
「空」にある無垢な人生をとらえようとしても、自己流の解釈しかできないのです
「空」と繋がる、一筋の糸が、心経の呪なのです