八百万の神を尊敬し
イエスキリストを尊敬し
アラーの神を尊敬し
自分を信じる
自分を信じられない人は、他になにかを信じることはできません
自分を信じられない人は、誰かを信じているようで、それは盲目的に依存する「おすがり」です
人間は、なにをどう偉そうに言っても、「ありのままの世界」から、その一部を切り取って「自分の脳内世界」を作り出して生きていくしかありません
その時、「ありのままの世界」はいくつあることになるのでしょうか
数え方は色々あるかもしれませんが、人間の数だけ「自分の脳内世界」があることに変わりはありません
八百万の神々や仏菩薩など、多くの神仏が存在するのも、こうした現実が前提になっています
その時、「ありのままの世界」はいくつあることになるのでしょうか
数え方は色々あるかもしれませんが、人間の数だけ「自分の脳内世界」があることに変わりはありません
八百万の神々や仏菩薩など、多くの神仏が存在するのも、こうした現実が前提になっています
普賢十羅刹女像 絹本着色 室町前期(15世紀)
ご覧のとおり、古ぼけた仏画です
ですが、500年前の仏画となると、実際はこれが普通です
むしろ、この仏画は保存状態がいいほうです
鮮やかな色彩が残っている仏画が、いかに特別で貴重か分かります
実はこの画像は、去年、アメリカのボストン美術館より学芸員がわざわざ来て調査されました
アメリカには普賢十羅刹女像がいくつかあって、研究も盛んらしいです
日本では普賢十羅刹女像を出して拝むことは、もう皆無ではないかと思いますが、海を超えて研究は続いているのです
釈迦十六善神像 絹本着色 室町前期(15世紀)
大般若経600巻を転読祈祷するときに使う本尊です
囲繞する護法善神達が大般若経の威徳を受けて、広大な仏事を成就します
位の高い仏菩薩には眷属に多数の神々がいて、それぞれが仕事を分担して働きます
山王本地仏曼荼羅図 室町前期(15世紀)
神様の本体は仏菩薩であるという信仰(山王一実神道)に基づいて、比叡山を守護する神々の本地を描いた曼荼羅です
山王垂迹神曼荼羅図 絹本着色 室町前期 (15世紀)
比叡山を守護する神々の姿の図です
本地の仏菩薩は最上部に梵字で表されています
神も仏も、相手に応じた姿で現れます
山王垂迹神曼荼羅図 江戸後期
長保寺14世海弁が、比叡山の神々の姿を描かせたものです
日本の神道や仏教では多数の神々や仏菩薩が、あたりまえにいます
皆様は特に何の違和感も感じないと思います
仏教の故国のインドのヒンドゥーにも多数の神々がいます
ローマにパンテオンが建設された時代には、やはり多数の神々がいました
それが、ローマカトリック確立後、一神教に変わります
世界には、多数の異なる神々がいることを認めない、あるいは無視する、イスラムとかキリスト教など一神教があるわけですが、実際のところはどうなのでしょう
世界の現実は「多神世界」なのではないですか