仏教の普遍性

般若心経
紙本墨書 縦26.0 横42.2  奈良後期(8世紀) 長保寺蔵
今回、久しぶりに出して撮影してみました
1000年以上前のものですが、墨痕あざやかです
この経巻は、奈良時代中ごろの天平時代に書写された隅寺心経と呼ばれる一連の般若心経のうちの一巻です
隅寺心経は現在50枚ほどが確認されていますが、世界にこれより古い般若心経は現存しません
長保寺の般若心経以外の隅寺心経は、そのほとんどが重要文化財に指定されています
長保寺の般若心経も申請すれば、重要文化財になるかもしれませんが、平成4年に隅寺心経と確認されて、比較的新しいのと、一連の隅寺心経の指定の時期とずれていたので、めんどくさいので、そのまま放置です(^^;;
長保寺のホームページの表紙は、この般若心経から「空」の字をキャプチャーして、1996年当時の技術で、かなり苦労して背景画にしています
1996年は、インターネットが民間に開放された年ですから、この年より古いホームページは日本には無いです
般若経典群は、何種類もあって、般若心経は、それらを短くまとめるために必要だった思われます
般若経典群の研究から、般若心経はインドの霊鷲山で説かれたことがわかっています
霊鷲山では法華経も説かれました
霊鷲山香室からの夕日 2010.2.18
最近は、世界中からの参拝者で、たいへん混雑します
さて
隅寺心経の所有者として、僕には「色即是空」を説く、いささかの因縁があるわけです
実は、この「色即是空」の基本構造は、仏教だけのものではありません

見える、聞こえる、感じるなど、感覚器官でとらえた印象が脳内イメージになって、世界を認識しています
この基本構造は、仏教だけでなく、ギリシャ哲学や量子論にもあるのです
プラトン哲学では、イデア(idea)を「ものごとの真の姿」であり判子のようなもの、エイドス(eidos)を「形」とか「図形」であり押された刻印のようなもの、と考えています
ただ、残念なことに、ギリシャ哲学にはideaを獲得する方法としての瞑想は、ありません
量子(Quantum)は、観察される前の状態では「ここである状態と、あそこである状態」が共存して重なりあっているSuperpositionであることが実験で確認されています
観察して始めて、位置と速度を決めることができます
半導体中で量子もつれの生成と検知に成功
「重ね合わせ という概念は、何らかの物体が同時に2つの状態で存在できる現象を意味しています これはとても妙なことで、私たちの日常生活では経験できないことです 当然、量子力学を創り出した物理学者さえも理解に苦しむ大難問でした
たとえば私がここに座っている状態と向こうの方に座っている状態は想像できます
でも、同時に両方に座っている状態は想像できません
しかし、量子力学では、まさに重ね合わせの原理によりこれが可能です
このように原子、電子、分子などは同時に2つの状態で存在することができ、この概念が量子技術を強力なものにします
重ね合わせのさらに延長上にエンタングルメントがあります
これには2つの量子的物体が必要です
この2つが絡み合う(エンタングルメントentanglements)と、個々の物体を分けて考えることはできません
エンタングルした2つの物体を宇宙の両端まで引き離したとしても、片方の状態はもう片方の状態に影響を及ぼすという時空を超えた相関をもちます」

「色即是空」の基本構造は、プラトン哲学や量子論にも通じる普遍性を持っているのです

特に量子論の「エンタングルメント」と「空」の性質が、きわめて興味深く似通っていて
モニターの裏側が見えないから、有るで無いでもない、というのが、屁理屈などでなく
八不偈にあるような
一異同断生滅去来
一でも異でもなく、同じでも断でもなく、生ぜず滅せず、去らず来ず
といった性質が現在の量子力学の実験室で研究されているのです

ここらへんは、キリスト教やイスラムのような、神の解釈を競うような世界とは、仏教は全く違うのです

ということで

大事なのは 

微笑むこと
自分を信じること
「最高の自分になる」と決意すること

リラックスして
呼吸に意識を集中して

イメージしてください 

息を吸うとき「だいじょうぶ」  

息を吐くとき「うまくいくよ」 

1,2分続けてみてください
できれば、もう少し長く 

息を吸うとき
あなたを守る力が体に入ってきます(ありったけのイメージで思ってください) 

息を吐くとき
その力を、あなたの好きな人にあげましょう(ありったけのイメージで)

疲れたらやめて
あなたを守る力に感謝します

こちらどうぞ