キリスト教とかイスラムでは、人は絶対に、神様にはなりません
仏教は、成仏を目指しています
人は、いずれ仏か、仏と成ることができるがこの世に留まって世を救い続ける菩薩になります
長保寺 国宝多宝塔 金剛界大日如来(平安時代 長保寺で最も古い仏像) |
つまり
人が神にならないのなら、いつまでも、迷える子羊でいればいいのですが
仏教では
自在に観(観自在)ると、脳が作り出すイメージ(五蘊)は「空」だと照らし見て、すべての苦と厄難を解決でき
見方を変えさえすれば、「空」から自分の望むものをなんでも、取り出すことができるから
人が仏と成る、成仏が可能となります
「空」から望むものを取り出すことができないなら、とてもじゃありませんが、仏となることなんてできません
いちおう理屈を言っときますが
自分勝手に、ダースベイダーや大魔王にでもなれるかというと、そこはそうはならないのです
自分勝手な、我執にとらわれていると、「空」を歪めて、新たな不幸の原因になる「色」を作るだけです
観自在の「自在に観る」の「自在」とは、自分のちっぽけな我執からも解放されているということになると思います
だから、忍耐や修行や学習が、どうしても必要だということになって、そんなにうまい話はないのです
「空」から望むものを取り出すには
なぜ、どうしたら、そうなるのか、具体的な道筋は横に置いておいて、夢が実現した状態を、(なるべく、皆が笑顔になるような夢がよろしいかと)強くイメージする
これが、コツですね