Finger pointing to the moon

= I want you to know that there are other ways = 

I respect Buddha
I respect Christ
I respect Allah
I respect many Gods 
And 
I believe in my good heart

 You know that there is polytheism and monotheism in this world 
Please you know that it is a world where there are many gods 
By believing in yourself, you can become friends with anyone in the world 

この先、大統一理論ができて、仏教、キリスト教、イスラムが統合することになるのでしょうか
そうすれば、一切の宗教対立もないし、唯一の真実を拠り所にして安心して暮らせるようにも思いますけれど・・・・・

実際は、なかなか簡単ではないでしょうね

仏教だけ考えても、北伝のチベット密教、南伝のタイ・ミャンマー・スリランカなどの上座仏教、東伝の中国・韓国・日本などの大乗仏教、西伝はイスラムへの影響、さらにその別れと、分派しつつ流布していきました
日本に伝わってからも、法相、天台、真言、禅、念仏、法華、さらにその分派、そのまた別れと、どんどん分裂していきます
どうも、この先も、益々、分派分裂していく見通しですね

所詮、宗教は脳内世界ですから、脳の数だけ教義があって不思議ではないです

日本仏教に限って言っても

日本の仏教は、壮大な伽藍から始まり、平安時代に山岳仏教になり、中世に日本的な発展を遂げつつ地方へ伝播していきました。江戸時代に檀家制度が確立し、今日では各家庭に仏壇が置かれるところまできました。中央集権的な時代には大伽藍で国家の威信を示し、平安時代には貴族の祈祷道場としての霊力を求められました。それが鎌倉時代にはいると、地方にも中央に拮抗するような勢力が芽生えはじめ、仏教の大衆に向けた発展が加速され、中規模な寺院が日本全国に作られました。江戸時代には封建社会を固定化するために、各村落にも寺院が作られ檀家制度が浸透しました。寺院は国家から地方、そして小さな村落へと変化しつつ発展してきました。そして今は各家庭に仏壇が置かれるようになり、違和感無く我々の生活に溶け込んでいます。

つまり、大⇒中⇒小と流れてきているわけです。で、次なる発展は、国家中枢⇒上流階級⇒地方豪族⇒地域社会⇒家庭ときて、こんどは個人でしょうか。たとえて言えば、大規模通信設備⇒公衆電話⇒固定電話の次に携帯電話がきたように、仏教の個人化がくると考えられます。

細分化は不可避だし、自然な流れなのです

仏教では、古来「月を指す指」と言っているのですが、月は一つであっても、それを指させば、人の数だけ指があるのです
月を指し示すには、自分で納得のいく「月をさす指」が必要になります
指がなければ、指し示すことはできません
月があることを否定しないなら、「月をさす指」はなくならないし、脳内世界の数だけ、つまり、人の頭数だけ指は必要になります
仏教やキリスト教、イスラムも、いまさら過去の資産をすべてぶっ壊すわけにもいきませんし、自分の宗教を拠り所にして、どこまでも追求するしかないと思います
自分の宗教が世の中に合わなくなってきたのなら、その宗教なりに納得のいく理屈を発明して、修正・改善するしかありません
僕は、仏教は空観と唯識観に基いてますから、それほど大きく修正する必要はないと思ってますけど

長保寺 本堂前の石段


人は人、自分は自分で
今、登っている石段を、自分で踏みしめて、登っていくしかないのです

こちらどうぞ
Facebookページ