来世がある、死後の世界がある、というのは仏教にかぎらず、世界中のすべての宗教が言っていることです
「ああそうか、全員一致だから間違いない」と、単純に結論を出してもいいのですが、皆さん、それでは納得いかないのではないですか
宗教と、一般的な倫理道徳の最大の違いは、死後の世界を含めた世界観があるかどうかでしょうか
「生きがいの創造」の飯田史彦先生などは輪廻転生を説きながら、宗教ではないと自分で宣言されてるわけですが、本の中には神様や仏様も出てくるものもあって、ボーダーライン上の人かな
「アウト・オン・ア・リム」を翻訳した山川紘矢先生も、自分の考え方は宗教じゃないと言ってたと思います
飯田先生や山川先生のようなニューエイジ系の方たちは、宗教というと、ステレオタイプの教義に固執し、権威主義で、凝り固まった世界観だと考えているようですが、僕に言わせれば、そういう宗教に対する断定的な見解も、凝り固まった世界観なのですね
まあ、これも、神話的コスモロジーで説明がつくのですが
我々は外界を感覚器官で認識し、脳内にイメージを作って生きている
おなじ事物であっても、見方が違えば、人それぞれイメージも違ってくる
飯田先生や、山川先生の言い分が成立するなら、仏教は宗教じゃないと言うこともできそうです
お釈迦様は死後の世界について語らなかったので、むしろ、より宗教らしくはないのですが
初期仏教には仏像がなかったことがわかっています
お釈迦様が仏像を礼拝して悟りを開いたというわけではありません
仏滅後600年間(2世紀頃まで)は仏像のない時代があったわけで、現代の仏教をお釈迦様がご覧になったら、さぞかしびっくりすることでしょう
偶像崇拝を禁止するイスラムも、仏像の無い初期仏教と比較するならば、似たところが多いかもしれません
スーフィーは、けっこう密教と考え方が近いですよ
お地蔵様 |
どう頑張っても、結局、一人ひとり別々の脳内イメージを持つわけです
勝手な脳内イメージを持つな、と言ったって、別に、自分勝手なことをしたくてしてるわけじゃない
貧弱だろうが歪んでいようが、それで壁にぶち当たって、修正しながら生きていくしかない
死んでしまったら、生まれ変わってその続きを生きていく
延々と、その繰り返し
神様や、仏さまが身代わりになってくれるわけではないのです
生きていくのは自分です
それが生きていくということ
自分の都合しか考えなければ、孤独だけれど
実際は、独りぼっちじゃありません
脳内イメージになる前の世界は一つしかない
忘れずにいよう