心経玄談 11

無無明亦無無明尽 乃至 無老死亦無老死尽
無明は無い、また、無明の尽きることは無い
老死は無い、また、老死の尽きることは無い

これは十二縁起のすべてにおいて、「無い、また尽きることは無い」と言っているわけです
十二縁起の説明は、ざっくりと省略します
必要のある方は、検索するなどしてお調べください
心経は、呪を説くための経典ですから、理論を徹底究明するのが最重要ということではありませんから

大事なところは、色即是空と照らし見ても、
老死は無い、また、老死の尽きることは無い
と、「老死は無い」としているのに、「老死の尽きることは無い」と言ってるわけで

これは十二縁起で、「無明の尽きることによって・・・老死も尽きる」という、仏教的な救いのセオリーをも否定しているわけです
否定(老死は無い)の否定(老死は尽きる)の否定(老死の尽きることは無い)で肯定と、矛盾してくるわですが

神話的コスモロジーの説明にもありましたが

深層意識でのイメージはコスモロジーがあらかじめなければ、体験とならず、他者とも共有できない。宗教体験の核心には、神話的コスモロジーが必要である。

生きているかぎりは、神話的コスモロジーを作り続けるしかないのですが
この、神話的コスモロジーは、真実そのものではありません
神話的コスモロジーは、文化的背景に導かれて脳内に作り出された印象にすぎません
ですが、この印象がなければ、世界は認識されないのです

肉体が衰えるから「老い」で、いずれ「死ぬ」のだ
というのは、自明の理ではありますが、脳内に作り出された印象ではあるのです

我々は、自分自身が作り出したコスモロジーに閉じ込められて、生きているのです

仏教的には、だから、瞑想が必要で、悲劇的コスモロジーから目覚めて、「空」を体得してください、ということになるんですねぇ