イエスは磔で死んでから、精霊として復活されます
この復活を事実として受け入れられたなら、キリスト教徒です
イエス亡き後、精霊が存在しなければ、キリスト教は単に過去の偉人の事跡で終わってしまいます
迷える子羊を誰が救うのか、ということになりますから、イエス亡き後のキリスト教には、復活が絶対に必要です
お釈迦様は、クシナガラの最後の説法(涅槃経)で、「一切衆生悉有仏性」を説いてから、涅槃に入り、荼毘に付されます
仏性が、すべての生き物にあるから・・・・・止観をすれば仏性にたどり着けます
仏性がなければ、止観をしても、ただの居眠りで終わってしまいます
お釈迦様亡き後の仏教には、仏性が絶対に必要なのですが・・・・
「仏性の無い人間がいる」という仏教があります
ご存知の、奈良の興福寺や薬師寺の法相宗や三論宗です
まあ、皇室が奈良から京都に引っ越してくださったおかげで、仏性が無い人がいるという説は主流派にはなりませんでした
涅槃経の存在がありますから、仏性を否定するのは、ちと無理がありますが、なぜか理屈を積み上げると、無くすことができるようです
歴史的には、仏性が時代とともに強調されていくようになりました
日本仏教初期の奈良では「仏性がある人と無い人がいる」という説でしたが、平安時代になると「女性以外は仏性がある」に変わり、鎌倉時代になって「老若男女一切に仏性がある」ことに落ち着きました
本当のことを言うのに、社会的な制約があったと考えるべきでしょう
さて、この仏性は目に見えません
当然、手でも触れません
やっぱり無いんじゃないか、という疑問も当然わいてきます
あるとするなら、いったいどこにあるのか
止「自己の都合を忘れ」、観「空だけになる」
伝教大師は比叡山の天台宗の開祖ですが、この比叡山で、日本仏教の天才達は一度は修行し勉学しているのです
法然・浄土宗(10年)、親鸞・浄土真宗(20年)、道元・曹洞宗(4年)、栄西・臨済宗(14年)、日蓮・日蓮宗(6年)など
括弧の中の数字は、比叡山で天台宗の修行をした、およその年数です
「忘己利他」が、日本仏教の根底にある言葉だと言っていいでしょう