天台大師像

長保寺にある天台大師画像です
長保寺は天台宗ですから、開祖の天台大師の絵があって別段おかしくはありません
しかし、長保寺はもともと天台宗としてはじまりましたが、鎌倉時代には真言宗になり、今ある本堂(国宝)・多宝塔(国宝)・大門(国宝)・鎮守堂(重文)は真言宗の時代に建てられた建造物です
江戸時代に紀州徳川家の菩提寺になるにあたり、天台に復しました
正確にいつから真言になったかは、わかっていません
この絵が室町時代のものであるという和歌山県立博物館の鑑定を信頼するならば、どうも、真言宗の時代のものになってしまいます
あるいは、室町よりもっと古い、鎌倉初期かそれ以前の、長保寺が元々の天台宗だった時代の絵かもしれません
おなじような構図の絵が日本にもう一枚だけあるようですが、天台宗でもこの長保寺の画像が貴重で、NHKテキストの表紙になったり、天台宗典編纂所で紹介されたりしています
長保寺は、もともと一条天皇の勅願寺ですから、紀州徳川家の菩提寺になる以前からの、多数の仏像と仏画が残されているのです
天台大師像  一幅  

絹本著色 縦97.6 横52.4
桃山(16世紀)

天台大師智ギ(538~597)は『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』の天台三大部などを講述し、中国天台の実質的開祖として尊崇されている。
 天台大師の画像の多くは、禅鎮を乗せた頭巾を被り、禅定印を結んで瞑目する姿であるが、長保寺伝来のこの画像は、脇息を前にして左手を乗せ、右手に如意を執る、説法相の大師である。
 「寄進帳」に和歌浦雲蓋院第4代住職憲海(寛文12年まで在職)が修復を奉納したとあり、やはり長保寺が紀州徳川家の菩提寺となる以前から什物として釈迦堂に備えられていた画像である。

和歌山県立博物館「長保寺の仏画と経典」より