「父母に孝行に法度を守りへりくだり、奢らずして面々家職を勤め、正直を本とすること誰も存じたることなれどもいよいよ能く相心得候ように常に下へ教へ申し聞かすべき者なり」
親孝行の大切さや、法律を守ること、正直を第一として家業に専念することなどが書かれています
徳川家は戦国時代が終わっても、いまだ荒廃した世相を、家族の絆を中心にして立て直そうとしました
万治3年(1660)に、紀伊徳川家初代藩主頼宣が、藩の儒学者・李梅溪(1617~82)に命じて作成し、領内に配布しました
思うに、徳川家の日本の歴史における最大の功績は「共食い」を終わらせたことだと思います
戦国時代、親が子を殺す、子が親を殺す、兄弟が殺しあう、昨日の友が殺しあう、など、当たり前に行われ、殺さなければ殺される骨肉相食む悲惨な出口の無い時代が続きました
戦国時代が終わったと、歴史の本に書いてあっても、人間がコロッと入れ替わったわけではありません
荒涼とした世相が続いたことと思います
徳川家の天下統一後の施策は、殺し合いを出来なくさせることに力点が置かれ、たとえば、大名の配置換えから、武士の裃(刀を振り上げられなくさせる)、武士が座った時に刀を右に置く(すぐに刀を抜けなくする)など、細々としたことまで実施されました
これは一面、徳川の世を永続させることにもなるのですが、少なくとも、徳川家が安泰ならば平和が保たれたのです
また、国家統一の中心を皇室として、徳川家はあくまで天皇に任ぜられた征夷大将軍としての地位にとどまり、自らが天皇あるいは皇帝になろうとはしませんでした
明治維新の大政奉還も、日本人同士の殺し合いを避け、「共食い」を終わらせた徳川家だからできた選択だと思います
皇室が国家の求心力で有り続けたために、日本は列強の植民地にならずにすんだとも言えるのではないですか
(アジアでかろうじて植民地にならなかったのは、日本の他にタイしかありません、タイにも立派な皇室があります)
ソ連、アフリカ、中国など、20世紀になっても「共食い」が続き、21世紀の今も、「共食い」の土地があることを思えば、徳川家の功績は非常に大きいと思います
「共食い」の時代に変わる、新たな価値として登場したのが家族の絆です
家族を建て直すことが、戦国の世を終わらせるのに、どうしても必要だったのです
徳川家は、神仏への帰依でもなければ、王への服従でもない、「父母に孝行に法度を守り」と、家族と法に社会の基礎を置こうとしました
法による統治は、アショカ大王も目指したわけですが、それに家族を足した「家族と法」こそ、未来世界にも通用する、普遍的な思想だと思えるのですが、いかがでしょうか
(そこから、敷衍して考えると、夫婦別姓など、家族解体に通じてとんでもない、ということになりますね)