まとめのような事を書こうかと考えていて、模式図にすることにしました
もっと美しく書きたかったのですが、めんどくさいのでこの程度のものでご勘弁ください
仏教は基本的に、意識が世界を把握している、と考えています
唯識観ですね
「三界は唯心の現すところ」とも言います
それを大まかに図解したのが下図です
赤線がマナ識で、自他の境界を作ります
ピンクが感覚器官で、ピンクの線で「感覚の範囲内」の外界を認識します
緑の意識によってアラヤ識に蓄えられます
アラヤ識は、感覚器官の限界とマナ識によって脚色され、完全に外界と同じにはなりません
死は、眼耳鼻身が消滅した状態です
意識、マナ識、アラヤ識はどこまでいってもなくなりません
実は、青い線の感覚も、あります
第六感ですね、霊感でもいいです
神通力にもなりますが
アラヤ識を通過するため脚色され、妄想、誤謬、錯誤、などから離れられません
また、強弱、深浅があります
そして、感覚器官が認識している外界は、どこまでも繋がっています
それが如来蔵で、すべてひっくるめて法界とも言います
そういう意識が無数に存在しています
近くの意識とは相互作用が強く、似たようなアラヤ識をもちます
近くとは、家族、友人とか、宗教、伝統や民族、あるいは、人、動物といった種のグループもあります
マナ識で境界が区切られた中に、意識があるうちは、因果応報から逃れられません
肉体がどんなに強くても、感覚が鋭くても基本構造は同じことです
青い線の霊感が強く深くても変わりません
それで、仏教の目的は
意識の中心が「マナ識の外」にあることです
マナ識があって、意識が外にあるのを菩薩
マナ識が消滅して、意識があるのを如来と言います
これで、たいていの事は説明がつきます
因果応報 自分(如来蔵)にしたことは自分に帰ってくる
輪廻転生 意識、マナ識、アラヤ識は死によっても無くならない
異なる神秘体験 アラヤ識によって脚色されます
異なる宗教 意識が勝手に創作します
悪意のある霊 アラヤ識がねじ曲がっています
自由 意識はなにものも束縛されない
などなど