吉宗寄進の香炉



 

歴代藩主


 

 

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紀州 吉宗ものしり帖



 

藩主廟所

 


紀州徳川家 

歴史 紀州徳川家菩提寺としての長保寺



御霊屋 寛文七(1667)年竣工 和歌山県指定文化財

御霊殿の調度
建立当時の調度が、そのままの姿で今も使われています。 御霊殿は一見、質素で剛健な佇まいですが、仔細に観察すると、非常に手の込んだ意匠が施されています。 これ見よがしな派手な意匠ではなく、わかる人にはわかる、さりげなく、重厚な表現が随所に見られます。
釘隠 襖引手 香炉 人天蓋 天蓋幡 地獄組 像面香炉 障子腰張 金華鬘 吊灯篭 鬼面華瓶 華瓶 布製造花 灯篭

 

 



頼貞隨想 徳川頼貞 紀州徳川家第16代当主の随想録

南葵文庫 紀州徳川家から寄贈された漢籍が、東京大学図書館の漢籍の質量ともに根幹をなしている。

VILLA DEL SOL 紀州徳川侯爵家が明治32年に東京・麻布飯倉に、日本で初の西洋式個人図書館「南葵文庫」として建てたもの。その後、取り壊される運命だったのを、伊豆山の旅館『蓬莱』がこの地へ移築。当時の雰囲気をそのまま守りながら、約7年もの歳月をかけて完全なかたちで復元した高級リゾートホテル。

入り口扉の上 三鍬形紋章 南龍公の馬印
入り口
外観
ロビー
2階レストラン
写真提供 NHK静岡放送局

古くから温泉地として知られる熱海の町。高層ホテルが立ち並ぶビーチの程近くに小さな洋館が、ひっそりと建っている。「ヴィラ・デル・ソル(太陽の館)」。もとは東京の紀州徳川家の図書館として100年以上前に建てられ、その後は神奈川県の大磯に別荘として移築された。昭和62年、取り壊される運命にあった建物を、熱海の旅館の女将によって移築され、今はレストランとして親しまれている。

地中海の別荘を思わせる白を基調とした外観。高い天井は亀甲模様が躍動感を与え、階段の手摺りやステンドグラスが上品さを漂わせている。暖炉やシャンデリアが当時のまま残され、100年以上の長い年月を物語っている。文明開化に伴って建築の分野にも西洋の波が押し寄せ、鉄やレンガ、セメントといった新しい素材が輸入されると、それに応じた新しい工法が広まっていった。大工や棟梁たちはこうした技術をいち早く吸収し、積極的に応用していった。その技術の高さは計り知れない。

図書館→別荘→レストラン。数奇な運命にも関わらず、100年以上もの長い間、2回の移築にも耐えた小さな洋館。

【数奇な運命の末に】

別荘を思わせる「小さな洋館」は、今でこそ熱海の景色に違和感なく溶け込んでいるが、ここに落ち着くまでには、数々の運命を辿ってきたのである。明治32年、欧米の視察旅行から帰国した紀州徳川家の頼倫(よりみち)侯爵は、そこで出会った図書館制度に感銘を受け、日本初の民間の図書館「南葵文庫(なんきぶんこ)」を東京の屋敷内に建てた。大正12年の関東大震災。建物は倒壊を免れたが、焼失した東大図書館にすべての書籍を寄贈し、その短い生涯を終えるはずであった。

しかしその「小さな洋館」は別荘として生まれ変わったのである。昭和8年、頼倫の息子、頼貞の別荘として神奈川県の大磯に移築された。付けられた名前が「ヴィラ・デル・ソル(太陽の館)」。英国貴族の憧れであったイタリア風の建物・田園の館「ヴィラ」にあやかって、こう命名された。

新たに生を受けた「小さな洋館」であったが、その役目は長くは続かなかった。昭和18年は人手に渡り、昭和43年にはいよいよ取り壊されることになった。終焉を迎えつつある「小さな洋館」を譲り受けたのが、熱海で旅館を経営する女将。建物が放つオーラを感じた瞬間であった。地中海を思わせる海沿いの敷地を購入し、レストラン「南葵文庫」として再び甦ったのである。

【衰えることがない建築美】

100年以上もの間、その魅力を損なうことがないのは、当時の設計、施工技術がもたらすもの。本物を見抜く優れた美的感覚の持ち主たちであった。また2度の移築にも耐え、手を加えながらも愛され続けた




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