紀州徳川侯爵家が明治32年に東京・麻布飯倉に、日本で初の西洋式個人図書館「南葵文庫」として建てたもの。その後、取り壊される運命だったのを、伊豆山の旅館『蓬莱』がこの地へ移築。当時の雰囲気をそのまま守りながら、約7年もの歳月をかけて完全なかたちで復元した高級リゾートホテル。
入り口扉の上 三鍬形紋章 南龍公の馬印 |
入り口 |
外観 |
ロビー |
2階レストラン |
古くから温泉地として知られる熱海の町。高層ホテルが立ち並ぶビーチの程近くに小さな洋館が、ひっそりと建っている。「ヴィラ・デル・ソル(太陽の館)」。もとは東京の紀州徳川家の図書館として100年以上前に建てられ、その後は神奈川県の大磯に別荘として移築された。昭和62年、取り壊される運命にあった建物を、熱海の旅館の女将によって移築され、今はレストランとして親しまれている。
地中海の別荘を思わせる白を基調とした外観。高い天井は亀甲模様が躍動感を与え、階段の手摺りやステンドグラスが上品さを漂わせている。暖炉やシャンデリアが当時のまま残され、100年以上の長い年月を物語っている。文明開化に伴って建築の分野にも西洋の波が押し寄せ、鉄やレンガ、セメントといった新しい素材が輸入されると、それに応じた新しい工法が広まっていった。大工や棟梁たちはこうした技術をいち早く吸収し、積極的に応用していった。その技術の高さは計り知れない。
図書館→別荘→レストラン。数奇な運命にも関わらず、100年以上もの長い間、2回の移築にも耐えた小さな洋館。
【数奇な運命の末に】
別荘を思わせる「小さな洋館」は、今でこそ熱海の景色に違和感なく溶け込んでいるが、ここに落ち着くまでには、数々の運命を辿ってきたのである。明治32年、欧米の視察旅行から帰国した紀州徳川家の頼倫(よりみち)侯爵は、そこで出会った図書館制度に感銘を受け、日本初の民間の図書館「南葵文庫(なんきぶんこ)」を東京の屋敷内に建てた。大正12年の関東大震災。建物は倒壊を免れたが、焼失した東大図書館にすべての書籍を寄贈し、その短い生涯を終えるはずであった。
しかしその「小さな洋館」は別荘として生まれ変わったのである。昭和8年、頼倫の息子、頼貞の別荘として神奈川県の大磯に移築された。付けられた名前が「ヴィラ・デル・ソル(太陽の館)」。英国貴族の憧れであったイタリア風の建物・田園の館「ヴィラ」にあやかって、こう命名された。
新たに生を受けた「小さな洋館」であったが、その役目は長くは続かなかった。昭和18年は人手に渡り、昭和43年にはいよいよ取り壊されることになった。終焉を迎えつつある「小さな洋館」を譲り受けたのが、熱海で旅館を経営する女将。建物が放つオーラを感じた瞬間であった。地中海を思わせる海沿いの敷地を購入し、レストラン「南葵文庫」として再び甦ったのである。
【衰えることがない建築美】
100年以上もの間、その魅力を損なうことがないのは、当時の設計、施工技術がもたらすもの。本物を見抜く優れた美的感覚の持ち主たちであった。また2度の移築にも耐え、手を加えながらも愛され続けた