心を開く

長保寺 国宝本堂(1311) 国宝多宝塔(1354) 2018.1.3

 

何に対して、心を開くのかというと、自分自身に対して心を開くのです

そもそも、「心」とは何か、とか考え始めるといつまでも始まりませんから、ざっくりした話をします

 

我々は、感覚器官を通じて外界(空 くう)を認識し、脳内に自分なりの世界(色 しき)を構築しています

我々の普段の生活では、自分の経験や知識や思いや考えに基づいて暮らしているのですが、つまり、この図で言えば「色」です
これは、厳密に考えてみると、物事の本来の姿「空」を自分なりに脳内に形成したもので、本来の姿そのものでは無いわけで、誤謬、勘違い、一面的理解など、あってあたりまえです

ガラクタとまでは言いませんが、そもそも完全無欠ではないのです

それで、注意を「本来の姿」に向けてみるのです
実は、これが、心を閉ざしてしまっていて、できていないのです

自分自身の、勝手な解釈、未熟な思い、無知、などの入り込むことがない、本来の世界が「空」です

諸々の不幸や脱線が、なぜ生じるのかといえば、根本的には、われわれが「色」に基づいて暮らしていて、「空」に心を閉ざしているからです
各人、自分勝手な世界観を構築して(色)生活するなら、まぐれ当たりで幸せになれるかもしれませんが、いずれ上手くいかなくなるのはあたりまえです

では、どうすれば良いのかと言うと

この図で考えてみると、「物を思わない」のがよさそうです
まあ、これは理屈であって、実際は、ほぼ不可能です
無念無想という言葉はありますが、それが簡単なら、だれも不幸にはならないのです

ここのところをなんとかしよう、というのが仏教の全てだと、言っていいと思います