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長保寺本堂 勤行次第


金輪->仏眼

金輪---->仏眼(胎蔵-金剛界)

光源---->目(世界-心)

大慈悲---->心眼(把握-成就)

 台密は釈尊の大慈悲を光源としている

 


法華経---->念(寂-照)

 天台大師の止観は法華経を光源としている

 

加---->持(所観-能観)

 東密は弘法大師が加持力の根元になっている

 入定留身


加持力の根元に対する実感を持つこと

釈尊---->過去七佛、三千佛、法報応、毘盧遮那佛、大日如来

などど増広されるが理論的な洗練は逆に実感の欠如をもたらす

リアリティーを持つには歴史上の人物にフォーカスする必要がある

すべての教えは実在した人の、心から生じている

 

今、自分が闇にいることを認めること

死に対する無知に重怖畏を持つこと

光明を求めること

 

諦めず粘り強く繰り返す

進もうとしなければいつまでも進まない

背を向けていたら、いつまでも光は目に入らない

速やかに結果を出すには光明に浸りきる必要がある

 

闇の由来を知ること

暗愚、エゴ、我執、無知、怨念、etc

自分自身の内にあるものと周囲にあるものとがある

有縁の心識を光明に導くことと、自心の光量を増すことが同時に必要

社会的には念の集まるところを避けるのが賢明
富、権力、名声

 

三密加持

真言行者座を立たずして一切の仏事を成す


神秘体験

一笑に付す人も多いが、実際には多数の経験が報告されている。
ただ、神秘体験は感覚の領域の問題で、その経験はほとんど誰とも分かち合うことはできない。
結局ある神秘体験を説明された場合、その説明を信じるか信じないかといった問題になってしまう。
しかしながら、体験した当の本人にしてみれば、人生の全てを変えてしまう事もあるくらいの強烈な体験となることもある。
不幸なことに、神秘体験の内容について「陳腐な体験」と「至高の体験」を見分けることの出来る人はほとんどいない。神秘体験であればミソもクソも一緒に、なんでも結構なものであると思いこんでいる人があまりに多い。神秘体験にはウソやギミックなどの悪意をもった体験が頻繁に起こるので、慎重に精細に検討する必要がある。

冷たく暗い威圧感や恐怖を感じるか、爽やかで明るい慈愛を感じるか。
これは誰も教えてくれない。自分の感覚を頼らなくてはならない。
慈悲を理解できる人が神秘体験を見分けることが出来る。

 

 

 

05/05/09


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