鐘声
砂の中の石は島にも見えるし、雲海の中の山にも見えるが、砂紋を書いていると人にも見えてきて、砂紋のせめぎ合いが人間関係のようにも感じられてくる。
2003/6/14 誘導催眠の現場では色んな事があるらしい。過去世と過去世の間を中間世というらしいが、ここで高度な神霊に出会って転生の意味を学ぶという。あるいはガイドというらしいが、魂の旅路を全て見通して、導き教える存在に出会うこともあるという。 悪意のある拝み屋とか、低級霊に使役されているのも分からない自己中の祈祷師、とかといったカテゴリーの人もセラピストの間に出てくるかもと思うが、まだそこまで来てないかな。 前世や転生について、仏教の中には至れり尽くせりでなんでも答えがあるのだが、これがいいのか悪いのか。病気を治したり、運命を好転させたりの方法も密教には数限りなくある。なぜ拝んで病気が治るのかの哲学的理論的解明もイヤと言うほど克明精緻に膨大な研究がある。理論の辻褄はキチンとあっているしスッキリ整理されている。あーいえばこーゆうで、何を聞かれてもちゃんと説明がつく。 いずれにせよ、とどのつまりは自分の実感を信じるしかないのであって、神でも仏でも、それが良き存在かどうかは、やはり自分の感覚で見極めるしかない。我々は行きがかりで善悪正邪を演じるが、自分のしていることは魂の奥底では理解しているはずです。本当に問われているのは「人間という存在を、どこまで信頼することができるのか」でしょうね。 2003/02/25 このところ退行催眠にはまっている。前世療法とも言われるらしいが、料金をもらってセラピーをする専門家が日本だけで100人位いるらしい。いや、知りませんでした。 仏教では前世の存在を当然のこととして認めているのだが、自分の前世がどんなだったかということは、あまり語らない。 聖徳太子は南岳大師の生まれ変わり。弘法大師は、恵果阿闍梨と師となり弟子となること一度ならずと言われ、不空三蔵の生まれ変わり。など、伝説はあるにはあるが、前世の話は滅多と無いと言っていいと思う。釈尊にはジャータカなどで数十もの前世説話が残されているが、つまりは一切衆生にそれぞれ数多の前世があることは仏教の歴史の中では強調されることは無かった。前世の存在はなかなか証明が困難であるから、言いたいことを言い出したらデタラメをを言ってもわからないわけで、記録として残す作業からは外されたのだろうか。 とまあ、前世を認める仏教の中でさえ本流になれなかった命題ではありますが、私としましては退行催眠や催眠誘導の技法は密教の瞑想法の中への応用など非常に興味深く、十分に研究の価値はあると感じています。 如何が菩提とならば、実の如く自心を知るなり。ー大日経ー 2003/02/14 苦集滅道とは、苦しみ(苦)の原因(集)を取り除く(滅)方法(道)ということで、仏教の根本的な存在理由になっている。 仏教では我があるから(自分が存在するから)苦を受ける、と考えている。世界を作ったのは誰かとか、苦がどこから来たのかとかはそれほど重視されない。重要なのは苦の除去である。 これが、「人は転生する」ということになるとどうなるか。我の消滅によって苦を受ける事は無くなるのだが、実際には我は永遠に無くならない。だから理屈から言うと苦も永遠に無くならない。影が体に従うように、生ある限り苦は付いてまわる。死んでもまた生まれ変わって、苦に脅かされることになる。自殺したら、今の苦しみはより大きなトラウマとなって転生したあなたを襲うことになる。 転生によって愛する人との再会も果たすことができるが、恨みを持った敵とも再会するし、何よりも我がある限り苦は無くならない。で、仏教では輪廻転生は苦からの離脱と直接の関係が無いと考えられている。転生が必ずしも進歩を約束するのではない。 我は消滅せずに転生を重ねるわけだが、最後にたどり着くとしたら、どんな状態だろう。終着駅があるとしたらそれはどこだろうか。 我が有る--->苦が有る ですから我々は、好むと好まざるとにかかわらず、選択の余地無く、大慈悲心に向かって転生を重ねているのです。苦痛から離れるにはそれしかないのです。 なにも出来ない、無力だというあなたにも出来ることがあります。 2003/1/15 輪廻転生は仏教では成立前からある概念で、おそらくは古代インドでは常識的な考え方であったのだろう。 ジャータカという形で釈尊の様々な前世について語られている。一身を犠牲にし善行をなしながら不条理な殺され方をした前世も何回もある。聖者であった前世で瞑想の木陰を作っていた大きな木が一番弟子のシャリープトラになっているとか、助けた小さな虫が王様になって恩返しするとか、膨大な前世がある。 まあとにかく、「人は生まれ変わる」ということを前提に仏教は説かれている。 思うに口に念仏を唱えても、今生に未練があればまた生まれ変わってくるのでしょう。 一切の法に自性無く、空・無想・無願なり。ー大日経ー 凡夫は、仏の差し伸べた手にすがるのが一番手っ取り早いと気がつくまで、延々と輪廻転生し続けるのでしょう。 2003/01/03 私が読んで、是非皆様にもお勧めしたい本。 これからの宗教のあり方を考える時必読の書です。私は、自分で要約をつくり上記のリンクに掲載しました。
「死者は生きている」 萩原玄明著 他にも「精神病は病気ではない」「精神病が消えて行く!」など、{死者の霊魂とどうつきあうか}のシリーズ。 精神病は死者からのメッセージであるので、死者と心を通わせ、心から理解し語りかければ病状は好転するのです。多数の症例から、我々は死んでも意識は生き続けるということがわかります。人間の生と死を率直に真剣に考えるのなら、是非これらの本をお読みください。
「人生の価値」 飯田史彦著 他にも「生きがいの創造」「生きがいの本質」「生きがいの催眠療法」など 生きがいの夜明け 人は輪廻転生する。 これらの事を多くの方にご理解して頂けると思います。 ---------------------------------------- 人生の本質と自分がマジで直接向き合うために、是非ご一読ください。 既成宗教は、儀式や行事に明け暮れ、本質を忘れて気の抜けたサイダーの様になってきています。理論体系は難解複雑化し、お世辞にも取っつきやすいとは言えません。常人にはとうてい無理な難行苦行を強いたりもします。多くの言葉と厳かな儀礼作法で飾られてはいますが、安らぎや慈愛の実感に乏しいのです。上記の本には今の閉塞感をうち破る大きなヒントがあります。 人は輪廻転生をつづけながら、喜びや多くの困難を通じて慈愛の心を学ぶのです。
釈尊成道の日 2002/12/8 諸悪莫作 諸善奉行 自清其意 是諸仏教 (諸々の悪を為さず、諸々の善を賛嘆し行えば、心が清らかになる。 悪いことと知りつつ改めず、善を求めることも実行もしない。 悪いことをすれば悪いことが起こり、善いことをするから善いことがある。 心が汚れている者は、周囲の者に苦痛を与え、自らも苦痛から逃れることはできない。 2002/11/27 そろそろお彼岸も近づいてきました。法事や墓参りを計画されている方も多いと思います。 彼岸というのは、そもそもの意味は「向こう岸」ということで、「この世」に対する「あの世」で、死後の世界のことになります。 死後などない、極楽浄土などない、と言う人の多い今日この頃ではありますが、人間の本質はそれではなかなか済まされないのです。 人間は完全な「無」には耐えられないのです。 2002/09/07 今年のお盆は、珍しく雨がちになりいくらか過ごしやすい気候となりました。お墓参りには行かれたでしょうか。 徳川家には立派な系図があって歴代の治績なども分かるようになっています。また長保寺には克明な過去帳があって幼少で亡くなったお子様のことなども細かく分かります。 ところで、あなたのお家には系図があるでしょうか。あなたは、ご両親の名前はご存じでしょうけれど父方母方の祖父母の名前を知っていますか。生年月日をご存じですか。さらに祖父母の両親や兄弟のことをどこまでご存じですか。子供のころ亡くなった方、再婚した方、養子縁組みなどどこまでご存じでしょうか。 きれいさっぱり無関心ではありませんか。 あなたの心身はその先祖から連綿と受け継いだものです。あなたも、誰からも忘れ去られたら悲しく寂しいでしょう。せめて、自分が骨肉を受け継いだ先祖とその家族のことくらいは思い出しましょうよ。あなたが思いださなかったら、一体誰が思い出してくれると言うんですか。 2002.8.21 五色の意味
前五識 眼 耳 鼻 舌 身 の五つの感覚器官 意識 起きている時の普通の意識 末那識 自意識 自分という感覚を作る 阿頼耶識 潜在意識 記憶を蓄える 如来蔵識 仏心
仏教は唯識観と言って、自分が生きている世界は心によって把握されているということを根本の基礎にして組み立てられています。
暑い寒い、嬉しい悲しい、全て心が感じているということです。このこと自体べつだん不思議でもなんでもないことです。
この心は原因と結果が連綿と続いて働いています。
これが「縁起の法」で、
因----縁------果--------報---------因
原因--条件----結果------喜怒哀楽---それがまた原因になる
切れ目無く無限に続いていて、自分と他人の心も網の目の様に繋がっています。
これを空観と呼んでいます。唯識観と空観が仏教の根本的な考え方です。
悪魔になるのも仏になるのも心次第、地獄を作るのも極楽をつくのも心次第ということです。不平不満や過去の栄光に執着していたら、いつまでもたっても、より良い人間関係は作れないということでもあります。
人間のもつ心が、仏の心に変わる、変わることが出来るというのが仏教です。
見ず知らずの人であっても、喜んでいるのを見て自分も嬉しい、という感情が仏心に通じているのです。
赤青黄色は光の三原色でこれに白と黒を足せば作れない色はありません。同じように心も世界の全てを作り出しています。心の動きを色に配当したのが仏教の五色です。
深い意味のある五色を仏事の中で様々に使っているのです。 2002/3/10 当節、密教といえば真言宗の弘法大師ということになりますが、密教輸入時代には天台宗の方が活躍していたのは経典の数量からして明らかです。 天台宗は真言宗の約3倍の経典を中国から持ち帰っています。 真言宗は弘法大師があまりの大天才であったため、弘法大師以後教学的にはさしたる進歩がなく、宗教史に名を残すような傑出した人物もほとんど輩出しませんでした。天台宗は慈覚大師、智証大師(三井寺)などにより、最新の経典を根拠に広い視野で密教をとらえるようになっていきました。 一口に「比叡山は日本仏教の母山」と言いますが、主な宗派の開祖は皆、一度は比叡山で学んでいます。 法然(1133-1212)浄土宗 親鸞(1173-1262)浄土真宗 栄西(1141-1215)臨済宗 道元(1200-1253)曹洞宗 日蓮(1222-1282)日蓮宗 日本文化の根元を知ろうとするなら、比叡山の仏教を知る必要がある、ということです。 2001/09/14 |