光と影

 

我々は、感覚器官を通じて外界(空 くう)を認識し、脳内に自分なりの世界(色 しき)を構築しています

物事の本当の姿が「空」だとすると
「空」は完全無欠で、無誤謬で、事実そのものです

ということになると、善と悪、正義と不正、慈悲と暴力、建設と破壊、などなど、全て「空」からみれば「完全無欠で、無誤謬で、事実そのもの」ということになります

となると、努力も積み重ねも善意も、どーでもいい・・・には、ならないんですよこれが
無軌道な生活をすれば、無軌道な世界になり、悪と不正と暴力と破壊を行えば、悪と不正と暴力と破壊の結末を引き受けることになるだけのことです
まあ、仏教では伝統的に「因果応報」と言うわけですが

ただ、「悪を行って、悪い結果になる」という一連のプロセスは、「完全無欠で、無誤謬で、事実そのもの」なのです
これは「色」と「空」という、我々が外界を認識する仕組みから、そう言えるのです

我々が物を見る時、光が当たっていなければ見ることはできません
光が当たると、物は見えますが、必ずそこに影が出来ます
物を見るには、光だけでなく影も必要なのです
光と影を合わせて、物の姿形になる、とも言えます
その物の姿形を美しいと感じたとしても、そこには必ず光と影があるのです