庶民の花見の原点
桜が開花している様子が描かれています
吉宗がこの桜を眺めたことは間違いありません
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長保寺からのお知らせと、日常の話題
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現在、境内の資料館の庭にある紅梅を「六代さんの梅」と言っています
毎年、3月中旬が見頃です
紀州徳川家の歴代藩主には、それぞれお好みの花があったようです
6代藩主の宗直(むねなお)の廟所に植えてあった紅梅を、資料館ができてから移植したのが現在の「六代さんの梅」です
6代藩主は、紀州5代藩主であった吉宗が8代将軍として江戸に行ったため、紀州藩主が空席となったので、四国の西条藩から養子として迎えられました
西条藩からは(初代西条藩主は紀州初代藩主頼宣(よりのぶ)の二男の頼純(よりずみ))、紀州13代家茂(いえもち)が14代将軍となった時にも、茂承(もちつぐ)が来て藩主を引き継いでいます
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ある特殊な木材は、同じ所に置いておいても、それだけが、微妙に温もりがあります
通称、尾州(びしゅう)と言われてる、檜なんですが、木曽の赤沢の檜を特に尾州と呼びます
尾州は、鎌倉時代から日本一の檜として知られていました
江戸時代、尾張の徳川家が独占して管理して、他の者に切らせない、「お留め山」にしていました
江戸時代は、「木一本首一本」と言って、勝手に木を切り出すと死罪でした
尾張の尾をとって尾州と呼ばれています
赤沢自然休養林の歴史
この木は今では林野庁が管理して、やはり切ることはできません唯一切り出すのは、伊勢の遷宮の時の材木用です
江戸時代、尾州は徳川家だけが使う事ができたのです
江戸城、名古屋城、などのお城や、長保寺などの徳川家の寺や、徳川家の武家屋敷だけで使うことができました
ですが、徳川家が建てた建物は、火災などでほとんど失われてしまいましたから、実際に尾州で造られた建物はほとんど見ることはできません
長保寺の御霊屋は、その数少ない尾州で造られた、総檜造の建造物です
床、天井、雨戸などの建具類を含めて、すべて尾州です
柱を、さわってもらうとわかるんですが、横にある桑の木で造った結界と、温度がハッキリ違います
尾州の柱は、いつさわっても、かすかな温もりがあります
同じ所にあって、日も当たりませんから、同じ温度になるはずですが、明らかに違いがあります
これは、多分、檜に含まれる油分から遠赤外線が出ていて温かいのだろうと考えています
尾州は特に品質がいいので油分が多いのだろうと思われます
この柱は、四面柾(しめんまさ)と言って 、一本の木から、上から見ると田の字に切って、四本の柱を取り出して、四面とも柾目になっている柱です
この太さの柱(四面柾六寸角面取柱)だと、最低樹齢800年ないと取り出せません
赤沢には、もうそのような古木はありませんから、あと800年近く待たなければ、この柱を新しく作ることはできないということです
まあ、伊勢の御神木に使われるのですから、神の力が加わっているという説明でもいいんですが、遠赤外線の方が科学的な理解に近いと思いますけどね
鎌倉時代から、尾州に触る職人さんは、実際触って仕事するのですから、
「この木は普通の木と違う」
ということは、よくわかっていたと思います
仏教の要点の模式図に加筆しました
見える、聞こえる、感じるなど、感覚器官でとらえた印象が脳内イメージになって、世界を認識しています
脳内イメージは、各人各様、すべて独自のものになります
しかし、感じる前の世界は、たった一つしかありません
自分が感じた世界は、自分だけのものです
感じる前からある、ありのままの世界とは違います
自分の作り出したイメージに捉われることを、我執と言います
苦しみや悩みは、自分がいる、という我執が根本原因です
感覚器官で感じる前の、ありのままの世界そのものが、自分というフィルターが介在しない、真実の世界です
今自分が感じている、苦しみや悩みが、全くない世界です
苦しみや悩みを救う力は、感じる前の世界にあります
その力に気づくのを、悟り、と言います