2010/01/30
2010/01/29
新年会
毎年、和歌山のどこかで泊まりがけでしているのですが、もう県内を一週回ったので和歌山市になった
家から40分位のところなので、こんな機会でもないと宿泊することもないですね
ちょうど共通一次試験の時で、受験生の宿泊が目につきました
昨日は、防衛協会の新年会
自衛隊の志願者は、優秀な人が多く集まって、今、高卒で倍率7倍位かな
自衛隊で採用されて、ちゃんと勤まれば、どこに行っても生きていけるよ
人並み以上の職業訓練を国費でしてくれるし、平和に貢献できるし、いい職場です
戦争が起こったら怖いと心配する人もいますが
今時の戦争は、ゲリラ戦やミサイル戦ですから、前線も銃後もないので、戦争が起こったら自衛隊だけが特別危険ということでもないと思いますよ
それで、宴会の席で隣に座った方が、84歳の方で
年をとるほど血圧が低くなって、風邪もひかなくなったというんです
13年前に脳溢血になってから、自分で研究して、ある健康法を実践しているそうです
それは、朝食に茶碗いっぱいの大豆を、ごはん代わりに食べるんだそうです
どうも、大豆に血圧を下げる効果があるらしい
自分で自動車を運転していらっしゃって、元気そのものです
息子さんはお医者さんなんですが、顔色は息子さんより若々しいかなぁ
もちろん、うちでもやってみます
2010/01/24
2010/01/22
2010/01/20
2010/01/18
2010/01/10
2010/01/08
唯脳から唯識へ
つまり「保守」は既得権を守り育てれば務まるわけだが、「革新」は単なる「もんくたれ」でも務まるのは在野にいる間だけで、立場が変われば、それなりの道筋を示す必要はある
で、既得権を守るだけなら理想も夢も無くてすむれど、未知の道筋を示すには、今は無いものを説明するわけだから、脳内でイメージを作っておく必要に迫られる
だから脳内で自分勝手なイメージに浸ることも有り得るわけで、「革新」は現実から乖離する傾向を持ちやすいと言える
脳の力があるから、現実を変えることができるわけだが、独りよがりと紙一重でもあるということ
脳の意識作用だけに限定すれば、とりあえずは常識の範囲の話になるわけだけれど、脳はつまり死んでしまえば終わってしまうわけで、責任範囲は個人に限定される
そこで、意識作用を脳の力に限定する概念を「唯脳」とすれば、もうひとつ「唯識」という概念がある
特定の脳が無くなっても、世界は無くならないわけで、しかし、意識されなければ世界は存在しないのも事実で、「唯脳」では説明が不十分で「唯識」という概念が必要とされてくる
識こそ全てで、識は五感によって脳にイメージを投影し、脳内に外界を作り出している
識は、無限大で一つしかなく、全てが繋がっているのだが、脳に投影された外界は、分断され、有限で、死によって失われる
つまり、「唯脳」から「唯識」へ概念を進化させれば、独りよがりや現実乖離と、死による無意味化は、かなり改善される(理論的には)
実は、慈悲は「唯識」から導き出される概念で、識のなかで人が繋がっているから、思いやりも同情も勝手な妄想でなく成り立つと言える
無限の繋がりから、脳がイメージを切り出しているという自覚を持てば、余計な執着は否定され、ありのままの世界を生き続けることが出来るという話
「保守」や「革新」を超えた立場もあるだろうと思うよ