鳴鐘偈  洪鐘震響覚群生 声偏十方無量土  含識群生普聞知 抜除衆生長夜苦 聞鐘偈  願此鐘声超法界 鉄囲幽冥悉皆聞  三途離苦罷刀輪 一切衆生成正覚

 

 

観音経

いきとし生ける者が災難にあい

想像もできぬ苦しみが身に迫るとき

観世音菩薩様は妙なる智恵の力で

その苦しみからお救い下さる。

すべての神通力を身につけて

智恵の方便を自在に駆使し

あらゆる国々に身を現したもう。

様々な苦痛と恐怖を味わいながら

地獄、餓鬼、畜生のように暮らす者の

生、老、病、死の苦しみですら

次第に悉く滅したもう


光のかけら

僕らは
どんなにつらい時でも
自分のことは自分でしなければならない

考えたこと 言ったこと したこと
すべて心の中に刻まれる

助けを求めている僕らの心

だけど
僕らの心のどこかに光のかけらが隠れている

か弱く無知な光のかけら
学びを終えた偉大な輝き達が護り導いてくれる

僕らは光の中でつながっている

苦しみと喜びから多くのことを学びながら
光のかけらは成長を続ける

光のかけらはこの体を離れても
またどこかに生まれ出る

そして いつか
偉大な輝き達に仲間入りして
だれも知らない明日を
共に創造する

 


「宗教クライシス」要約


 

私の信条
発善心(
はつぜんしん)

人生には損とか得とかで済まされない価値がある
悪いことをしないよう、善いことをするよう心がけて生きる
善いことをするのに条件はいらない 自分の都合でするのだから
善いことをするのに目的はない 善いことをすることそのものが目的だから
行いの結果と損得は、善悪ではなく因果関係で生じる
因果だけ見ていては生きる動機が見出せない
空しさから逃れるためには、善いことをするよう心がけなければならない

 


 

体験談募集

小さなお子さんをお持ちの方、ひょっとしてお子さんが前世を覚えていらっしゃいませんか。小さなお子さんの1000人に2人位は前世の記憶があると言われています。「生まれてくる前にどこにいたの?」って尋ねてみてください。

臨死体験をされた方の体験談も募集します。救急救命医療が発達するにともない、臨死体験が増加することが考えられます。決して不思議で奇妙な体験ではありません。

E-Mail   mail@chohoji.or.jp

2003/02/05

 


 

国宝の多宝塔
石山寺 1194年(滋賀県);高野山金剛三昧院 1223年(和歌山県);慈眼院 1271年(大阪府泉佐野市);浄土寺 1329年(広島県尾道);長保寺 1357年(和歌山県);根来寺 1480年(和歌山県)
   
国宝の楼門(二階建ての門)
石手寺二王門 1318年(四国51番札所);長保寺大門 1388年(和歌山県);東照宮陽明門 1636年(日光)

国宝の二重門(屋根が二重の門) 東大寺南大門;法隆寺中門;東福寺三門;金峰山寺二王門;光明寺二王門

国宝の本堂 中尊寺金色堂;平等院鳳凰堂;延暦寺根本中堂;長保寺本堂 1311年;善福院釈迦堂 1327年など61棟

 

金剛三昧院、慈眼院、根来寺は塔だけ国宝。石山寺、浄土寺は門の国宝が無い。東照宮、東大寺、金峰山寺は塔の国宝が無い。石手寺、東福寺、光明寺は門だけが国宝。ということで、塔・門・本堂と国宝は長保寺と法隆寺だけとなります。

2003/11/27

 


 

長保寺でロケのありました「新しい朝が来た」が再放送されました。

NHK総合 平成15年10月13日(月) 16:30〜17:44

 


 

サライ

小学館発行 2003/9/18号

特集「名君の菩提寺」を詣でる旅、で長保寺が紹介されました。

 

 


 

NHKスペシャル ハイビジョンドラマ館
「新しい朝が来た」

田中裕子 室井滋 香川照之 笑福亭松之助 渡辺哲 他

長保寺でロケが行われました。昭和20年終戦の年の夏の話です。長保寺は瀬戸内の島のお寺の設定で登場します。御霊屋の玄関先とか参道や石段、本堂周辺などで撮影がありました。どうぞご覧ください。

総合    8月10日(日)21:00〜22:14
ハイビジョン 8月2日(土)21:00〜22:14

サンスポ 制作発表

 


 

自然石の石段

本堂前の白砂

2000年に創建1000年記念として、比叡山の浄土院に倣って敷きつめた。

長保寺は現在天台宗だが、鎌倉時代頃は真言宗だった。国宝に指定されている本堂・多宝塔・大門は真言宗の時代に建立されている。宗教統制ががんじがらめになり檀家制度が行き渡る江戸時代より前は、宗派が変わることは全国的に日常茶飯事だった。長保寺にいらっしゃる観光客の方によく「この寺は何宗ですか?」と聞かれるが、仏教の中のセクトの違いに目くじら立てるのは時代的な流行であって、普遍的な真実に対してそれほど大きな意味は無いように感じる。お仏壇の前にすわって先祖を拝む、お墓参りをする、葬式に坊さんを呼ぶ、等やっていることに大きな違いは無い。

2003/6/29


 

自然石の石段

自然石の石段 (紀州青石)

初代藩主の頼宣が初めて来た時にはすでにこの石段があった。頼宣は切石を使うなと奉行に命じている。

長保寺のサイト内は相当に奥が深くてわかりずらい。スッキリさせたいのだがどうにもページが増えていくので、なかなか難しいのです。それで、サイト内検索が出来るようにいたしましたのでお使い下さい。

2003/6/22

 


 

このところアクセス数が急激に増えている。どうもこんどのNHKドラマのロケのせいらしいのだが、検索したりとかファンクラブのリンクからとか、インターネットの威力を感じますね。来年の大河ドラマは新撰組だが、14代将軍家茂のことを検索する人も多い。はるばるこのページを訪ねてくれる人、ほんとにありがとうございます。このページを見てくれた人にお教えしますが、明日も長保寺でロケがあるよ。まる一日撮影しても使えるのは7,8分だそうです。

2003/6/19

 


 

こんどのNHKドラマのストーリー。よくある話であるのだろう。放送前なので詳しく書けぬが、状況はうちとよく似ている。
ただ、戦時中は徳川さんが疎開していた。また、港に精油所があるので艦載機の空襲でラジオ体操どころではなかった。
瀬戸内という設定で脳裏に浮かんだが、戦争前、先代の住職が近くの寺の住職にと世話した坊さん、四国の丸亀の人であったが終戦の日の二日前に戦死した。婚約者であったと言うおばあさんが最近はるばるお墓を訪ね当てていらっしゃった。ずっと結婚せずに独身で過ごされてきたらしい。
命からがら復員してきたら、空襲で一家全滅していて、一人ぽつんと取り残された人。石段の下に平和地蔵尊を建立した。もう亡くなったが死ぬまでアメリカは嫌いだった。
和歌山市の大空襲の中を逃げまどい、素っ裸で立ったまま死んでいる女性に出くわした話。お経の焼けちぎれた切れ端が山を越えて飛んできた話。色々聞かされました。
長保寺の大門を狙って500キロ爆弾を落としたが、外れて山に落ちた。そこは、今でも抉れた崖になっていて木が生えないでいる。特攻隊が積んでいたのが250キロというから500キロとすれば、ほんまかいなと思うほどどえらい威力になる。仁王さんの力で外れたという人もいるが、まあ、誉めてくれたつもりだから、ありがたく聞いておくことにした。

過去と言えば過去の話だが、生々しすぎる記憶を持つ人はまだまだ沢山いる。こんどのドラマが少しでも供養になればと思う。

2003/6/15

 


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