僕はQuantum Senseですでに書いていますが
http://www.chohoji.or.jp/archives/quantumsense.htm
量子論のsuperpositionが、仏教で言うところの「空」と非常に近い概念なのです
実はこのsuperpositionが成り立つと、「自分を変えることで世界を変える」という理論も成り立つのです
それがentanglementsです
密教的に言えば三平等観ですかね
「我とホトケと平等
ホトケと衆生と平等
故に、我とホトケと衆生と平等平等なり
故に、真言行者座を立たずして一切の仏事を成す」
ま、一気にここまで言うと飛躍しすぎと言われそうですが、entanglementsで量子コンピューターを作るつもりらしいですから、笑っていられませんよ
まあ、電波とか電気も、霊的世界と近いと言えば近いしね
Si半導体中で量子もつれの生成と検知に成功
「重ね合わせ(superposition)という概念は、何らかの物体が同時に2つの状態で存在できる現象を意味しています
これはとても妙なことで、私たちの日常生活では経験できないことです
当然、量子力学を創り出した物理学者さえも理解に苦しむ大難問でした
たとえば私がここに座っている状態と向こうの方に座っている状態は想像できます
でも、同時に両方に座っている状態は想像できません
しかし、量子力学では、まさに重ね合わせ(superposition)の原理によりこれが可能です
このように原子、電子、分子などは同時に2つの状態で存在することができ、この概念が量子技術を強力なものにします
重ね合わせ(superposition)のさらに延長上にエンタングルメント(entanglements)があります
これには2つの量子的物体が必要です
この2つが絡み合う(エンタングルメントentanglements)と、個々の物体を分けて考えることはできません
エンタングル(entanglements)した2つの物体を宇宙の両端まで引き離したとしても、片方の状態はもう片方の状態に影響を及ぼすという時空を超えた相関をもちます」
2011/12/11
2011/12/04
光の瞑想 バージョンアップ
<>光の瞑想を、ちょっと手直ししました |
見える、聞こえる、感じるなど、感覚器官でとらえた印象が脳内イメージになって、世界を認識しています 脳内イメージは、各人各様、すべて独自のものになります しかし、感じる前の世界は、たった一つしかありません 生滅も垢浄も増減もない、時間と空間のない完全無欠な世界です |
自分が感じた世界は、自分だけのものです 感じる前からある、ありのままの世界とは違います 自分の作り出したイメージに捉われることを、我執と言います 苦しみや悩みは、自分がいる、という我執が根本原因です | |
感覚器官で感じる前の、ありのままの世界そのものが、自分というフィルターが介在しない、真実の世界です 今自分が感じている、苦しみや悩みが、全くない世界です 苦しみや悩みを救う力は、感じる前の世界にあります その力に気づくのを、悟り、と言います わがこころ、吾心ですね | |
見る側の我々と、見られる側の世界との間には壁があります この壁を超えるのが「慈悲の感触」です ここでは、光と言っておきます 「慈悲の感触」だけが至高の心に繋がっています あなたが、全力で誰かのために働く時、自分自身の中にある、至高の心に出会えます |
普段は感覚器官によって切り取られた、自分の脳内世界を自分自身であると思い込んでいるのですが(つまり我執)、実際の自分自身は感じられる前の「至高の心」そのものなのです(これが悟り)
心の重点を、私利私欲に置けば、迷いの世界が深まり
利他公益に置けば、「至高の世界」に直結する、と単純な理屈です
利他公益に置けば、「至高の世界」に直結する、と単純な理屈です
実は、「至高の世界」に気づけば、「死」の意味も変わる、ということですね
光の瞑想の模式図
http://www.chohoji.or.jp/shousei/saloon.htm
登録:
投稿 (Atom)